全ての人間関係でこれをやったら上手く行かないよなぁと思うことがある。
正しさで勝つこと。
相手と張り合うこと。
勝ち負けにこだわること。
自分の思い通りにしようとすること。
逆にこれらをしなきゃいけない場もある。
確かにあるんだけど…
例えば、自分が最近始めた剣道には、厳密なルール、作法がある。
戦う相手に常に敬意を払う。
人として正しい振る舞いをする。
礼節を弁える。
その為に、礼のタイミングやら、試合の前後の竹刀の持ち方やら置き方やら、きめ細やかにルールが定められている。
決められた一つ一つの作法を蔑ろにすれば、その時点で反則負けとなる。
どんなに力の競り合いで、相手に勝っていたとしても。
どんなに力の差がある相手であっても、勝つということに、自律と相手への敬意が必要なんです。
親が、上司が、立場にものを言わせて力づくで子どもや部下に対して言うことを聞かせようとしても…
生まれるのは反発だけ。
正しさなんて、利害なんて関係ない。
言うことを聞かせるいうことが、相手に対して敗北感を抱かせる。
理不尽な怒りが生まれる。
それは、最早、相手に勝っているようで、負けてますよね。その負の気持ちを相手に与えた時点で。
怒りや苛立ちは単純に相手や、他人、自分の外に向くこともあれば、
自分自身への無力感への怒りとなり、鬱になることもあるでしょうねえ。
パワーバランスが、年齢や立場などで固定している場合もあれば、一見対等な立場なのに何故か上下関係が出来てしまうことがある。
言葉に力がある人、口が上手い人、説得力のある人であっても、そういった人たちは、簡単に勝ってはいけないんだろうな。
勝つことは、実は損をすることなんだろうと思う。
よく100%、自分の思い通りにしたいって思ってる癖に「話し合いましょう」って言う人いるけどね?
とにかく相手にだけ譲歩を求めて、
自分に従って欲しい人がいるけどね?
勝ち戦する気、満々ですよねぇ。
自分の無謬(むびゅう:わたしは絶対に正しい!という思い)を信じてますよね?
正しいわたしにあなたが従うのは当然!だと思ってますよね?
まあ、そういう人とは普通に話なんかしたくないですよね。
顔合わせるのも面倒くさくて逃げたくなります。
だって楽しくないじゃん、そんな人と一緒にいても。
自分の思い通りにしようとして(勝とうとして)、それで嫌われてしまったら、人間関係的に「負け」ですよねー。
損ですよね。
わたしの親は、自分の正しさを正当化する為に、
よく故事成語とか、歴史上の偉人だとか、どこかの企業の偉い人の言葉とか、引き合いに出して自分の言ってることに権威を持たせながら、懇々と説教して来たものですが…卑怯ですよねぇ、全く😓
正しさにねじ伏せられた結果、残るのは、怒りです。
そりゃグレますよ。
当たり前だっちゅーの。
勝つことって、無駄なんだよねぇ。
張り合っちゃダメなんだよねー。
物事を意図して自分の思い通りに「する」ことと
物事が結果的に自分の思い通りに「なる」ことは
違う。
強引にねじ伏せたら必ず後でツケがくる。
…脆いんですよ。
せっかちに我を通すのは、損ですね。
それには、
待つ余裕がいる。
すぐに答えを出さない。
脱ジャッジ。
判断(反応)しないことが必要になる。
目先の出来事について、
損得や善悪を、無闇やたらに判断してしまえば。
我の為だけに動きたくなる。
そうなると、結局損をするのは自分なんだろうな…。
相手の心を動かすって、かなり辛抱の要ることなのかも知れない。
…母親のお陰で、わたしはそれを学ぶことが出来たんだろうと思う。