2021 4/18の記事のリライトです。長くて読みにくいですけど。
子どもが発達障害の傾向があるときは、
得意なことを見つけて伸ばすことと、
とにかく服薬を避けることが大事だと思います。
学校などに圧力をかけられ、どうしても受診を避けられない時は、精神薬を使わないことを了承してくれる医者をとにかく探すことが大事だと思います。
そもそも、母親の強い意志があれば、無理に服薬させることはないと思いますが。
あるとすれば、余程暴力、攻撃性が酷い場合じゃないでしょうか。
(しかし、その場合、周りの大人の接し方に対する本人の怒りの現れですよね。)
薬を飲むと脳にダメージを受け、せっかくの発達支援のためのトレーニングも訓練も、周囲の大人の適切なの対応も全て無駄になりますので、本当に子どもへの服薬は辞めた方がいいです。
自分の知り合いなら、止めます。
まだ飲ませていない方、お薬を飲ませるかどうか悩んでいる方は、心に止めて置いてください。
精神薬について、医師など目の前の専門家の言葉をそのまま鵜呑みにするのでは無く、自分自身で淡々と冷静に添付文書なり、書籍で調べて、ネガティブも含めた情報を正面からキチンと受け止めた上で、
吟味し、納得して、さらにお子さん本人も納得した上で、(子どもは養育者の意見に洗脳されて丸めこまれますけどね。)飲ませている人に対して批判をする権利は、わたしにはありません。
いや、わたしとは価値観が違うんだなと…
しかし、精神薬が子どもの脳に悪影響なのは事実なので、わたしにはこういった記事を書く義務があると思っています。
何度も書いていますが、発達障害を持った子は、精神薬を飲まないで大人になる方が予後が確実に良いです。
発達障害児は増えてなどいません。
昔から発達障害児は沢山いました。
しかし、子どもの頃に色んな大人からものの分別を教わりながら、見守られ、時に叱られ、成長して大人になっていったんです。
私も含めて今の親たちは、子どもの頃に発達障害ないし、生き辛さのある特性があったとしても、子どもの頃に薬を飲まされてないから、大人になって多少凸凹でもなんとか社会逸脱行動をしない程度には暮らしていけてる人が比較的多いんだと思います。
今の社会は子どもを見守る「大人力」が無さすぎて、全部精神医療に丸投げすることにしたんでしょうね。
大人の脳にも悪影響がある精神薬を、子どもに使えば、脳の成長を阻害します。
一見その時はお薬で落ち着いているように見えても、将来に向けての予後が大変悪いです。
具体的には、思春期から青年期にかけて、問題行動や社会逸脱行動を抑制するのが難しい状態になっている若者を、福祉では、しばしば見かけています。
若者たちは、警察のお世話になったりすることも決して少なくありません。
何歳になっても子どものままのように見える、依存的で、他罰的で、受動的な傾向があります。
それよりももっと酷い人格破綻、日常生活が破壊された状態になっていく子もいて…
そういう子が思春期病棟に何度も繰り返し入退院をさせられる頃には、親も疲れ果て、そもそも根本的な問題が何だったのか、何がなんだか分からなくなっている程に疲弊しています。
すると、ますます精神医療や福祉にされるがままになり、それは生涯続くでしょう。
そうなると、子どもが成長し、親を超えることは出来なくなります。
かといって、今更お薬を辞めることも怖くて出来ない、人工的な精神障害者となります。
あれ?
初めはただの発達障害だったのに、いつのまにか精神疾患の症状まみれの、精神障害者になってる?
ということが起きます。
そりゃそうです。精神薬を飲めば精神疾患の症状が出ますから。
若い人の自死には、高確率で精神薬が関わっています。
それは、精神薬の副作用に衝動的に自死を選択したくなるというものが、あるからです。
上記の理由から、医師にかかるならば、かかりつけ医は本気で選んでください。
過半数の先生はその子の将来、5年後、10年後すら考えてはくれずに、その場しのぎの、投薬という対応をします。(出されても飲まなきゃいいんですけど)
でも、本気で探せば、子どもの健康状態や栄養状態、その他環境も含めて、総合的に見てくれるまともな医師も、きっといるとは思います。
しかし、ホームページに患者ウケを狙って「お薬は出来るだけ使いません」とか書いてても実際違うことは、よくあることなので、初診から薬はNGでと伝えて、初志貫徹したらいいと思います。
投薬は、本当にどうしようもない時の最後の手段である筈です。
精神薬に限らず、魔法のクスリなんて、この世に存在しません。
全ての薬は漏れなく黒魔術ですから、使いすぎてはいけないのです。
日本人は特に薬を使いすぎです。
安易に薬をすすめる医師や教師(あと、既に飲ませている洗脳された親も含む)の意見にほだされないでください。
投薬の前に、そのほかの指導やアプローチを試そうともしない医師は、藪だと思って下さい。
藪医者には通う必要もないし、次回の受診にわざわざ行く必要もありません。必要な時に診断書だけ我慢して書いてもらう、くらいの利用の仕方でもいいと思います。
その人たちは、「今ここ」しか見ないその場しのぎの「自分の仕事」が出来ればいいだけです。
一生その子と付き合うのは親です。
子どもの脳と子どもの将来は親が守って下さい。
あとは、学校側に親子共々、心情をしっかり理解して貰うことを諦めないことが大事です。
喧嘩腰ではなく、対話をすること。
教育者も人の子です。
敵意を出して向かってくる人間には、冷たくなるのは当然だと思います。
しかし、親の誠意と態度次第では、学校は最大の味方にもなり得るのです。(医師もですが)
努力して歩み寄って、それでもどうしても共闘出来ないようなら、戦うよりも逃げた方がいいような気がします。
のらりくらりでも、一目散でも、お好きな方で。
上手くやらないと児相案件にされることも稀にあるのでことを荒立てずに立ち回って下さい。
相手に服従はせず、しかし勝とうともせずに。
対等になりましょう。
それには親が自分なりの「子育て哲学」を持っていなければならないと思います。
ただのモンペだと思われたら損です。
肩肘張らずに、
わからないことや悩んだことは伝えて、従う方がいいと心から思うことだけ受け入れて従い、だけど無理なことや受け入れられないことは毅然と断るというスタンスがいいと思います。
こんなこと偉そうに言っておいて、もし自分自身がその立場になった時にどこまで出来るかはわからないんですが…
上手く立ち回ってる人を見るとそんな感じにやってるので、参考になるかと思って書いてみました。
親が今までの人生で培って来た処世術、人間力、器が試される、深い深い学びがあるのが子育てだと思います。
ところで。
自分がたまに本気で掃除をすると、
あちこち散らかす娘や夫がイラついてしょうがない瞬間があるのです。
そんな時。
世の中によくいる完璧主義とか潔癖症って本当に幼い欲望というか、駄々をこねているだけなんだなーと、しみじみ思うのでした。
掃除出来るからって偉くないよな。なんて思います。
偉いとか正しいとかでは無く、義務でもなく、その人が綺麗な状態が心地いいからするものであると思うのです。
時に、どこか不完全だったり、汚れてしまったりしている状態を許容出来るのが一番健全だし、許容出来ないのだとしたらそれは、一種の強迫神経症じゃないでしょうか?
と、お客様が来る時くらいしか必死にやらないワタシが偉そうに言ってみました。笑
これは、掃除に限ったことではなく、きっと…
キチンとしなきゃいけない。
はみ出てはいけない。
他人に迷惑をかけてはいけない。
決まりを守らなくてはならない。
勉強が出来なくてはならない。
友達が居なくてはならない。
そういうことを他人に強要したり、出来ない人を魔女狩りの如く鬼の首を取ったかのように責めたり、相手を発達障害呼ばわりするのは、その人自身に脛に傷があるからだろうと思います。
いや、自分がキチンとしたいなら自分だけキチンとしてろよと思うのだけど。
他人のことをどうこうしようとか…
「〇〇くんが、××してませーん!」とか、、やたら先生にいいつける小学生っていましたし、多分今もまだいるでしょうけど…そんな感じのマインドなんでしょうか。
自分より出来てない人を見張ってる役目になれば、自分自身は安全地帯にいられると思ってるのだとしたら、なんとまあ、滑稽ですよね。
親や先生と呼ばれる人は特に、自分の至らなさをいかに自覚してるかが、多分一番大事かと。
自分の発達特性の傾向を知り、対策さえ取れるならば、それが出来てない肩肘張って冷や汗かいて他人を見張ってる自称健常者より、自覚のある発達凸凹の人の方がだいぶ健全じゃないかなとすら、思います。
自分の状態、傾向を自覚することは大事です。
しかしそこに、悲壮感も劣等感も要らないし、
第三者の哀れみも優越感も要りません。
学童期に診断を受けることは、学校から診断書を求められたなど、やむを得ない時以外に必要がないと思います。
診断のデメリットの方が大きいですよ。
診断を受けることと、服薬することが、別であると思えるのならば、
そして、その子の周りで起こる出来事の全てを、発達障害のせいにしなければ。
まず、親自身が自分に発達特性がないのか、ちやんと向き合った上で、診断を受けさせても、いいと思います。
全部子どものせいにするなんて、子どもにだけ服薬させるなんて、最低ですからね。
実際それが難しいから、わたしは全ての年齢の方に、発達障害の診断をオススメはしません。お金を払って診断して貰うメリットは、思った程大きくありませんから。
(ここまで親御さんに思うこと↑)
(ここから、当事者さんに思うこと↓)
診断を受けたところで、それほど劇的に何か変わるわけではありません。ただ、自他からのレッテルが増えるだけです。
病名は、救いになることもありますが、呪いになることもあります。進学や就職だけでなく、今後の人間関係においても。
色眼鏡で見てくる人、普通にいますから。
しかも、もし診断でグレーゾーンや白だったとしたら、では、一体どうしろと?…と、余計に悩むことになります。
「発達障害圏じゃないのに困ってるということは、ただの怠け者なのか?」とか悩んだり。
グレーや軽度と言われたら福祉の恩恵を受けられないことも多いですし。支援、ろくに受けられないのに、何のためにわざわざレッテル貼られに行ったの?という。
だから、診断を受けるよりも、困りごとがあった時点で、本人や親が書籍などで傾向と対策を学べば十分だと思っています。YouTubeとかでもいいけど。
何といいますか、
確かに自分自身の発達の傾向を自覚していれば生きやすいと思うし、他人に必要以上に恨まれずに生きていけるとは思うのです。
でもね。
帰属意識とか、同じように苦しむ仲間が欲しいとか。そういう目的で病名を貰って群れようとするなんてさ。それは、気持ちは分かるけど、いつか卒業すべき、弱さですよ。
そこを卒業出来るかどうかで、その人の今後の人生が花開くかどうか、が決まるようにすら思います。
発達障害、精神医療界隈、以外の趣味、興味、ないのかな?
世の中には沢山楽しいことあるのに、どうして発達障害ばかりにフォーカスするんだろ。
ちなみに自分はピアノに剣道にカラオケにその他趣味はそこそこありますよ。
いつもプライベートで、精神医療界隈の話しかしてない訳じゃありません。笑
…誰も責めてないよ?
でも。
なんでそこに、いつも、こだわるのかな?