2021.7.25
これを書いたのは夏土用の時期だったんです。今は春土用ですね。
やたらヒトの醜さや酷いさが露呈することが増えたね。
昔だったら無かったことにされていたことがインターネットによって明るみになりやすくなったのか。でも、テレビのニュースですら、何だか変化が見られる。
あとは…
取り繕おうとする最後の良心すら失った下品な人が増えた?
昔の人はもう少し取り繕うの上手かった気がするよ。
だから、無かったことにされてたことが沢山あって、それが出て来ただけなのかな?
次のターゲットはコイツだと、
国レベルで虐めの対象を常に探している緊張感、滑稽さに違和感を覚える。
学生の、
いじめと隣り合わせのクラスLINEの恐怖ってきっとこんな感じなのかな。
国のしてることの、縮図がそこにあるのか?
さてと、もう少し楽しいこと考えよ。
って書いた前の記事、ちょっと言葉足らずだったかも知れない。
いちいち長々と言い訳するのもめんどくさいんでこの間専門学校で話した講義の資料の一部を貼っておく。
私は肩書きや立場で人を見下すことはしないけど、その人の振る舞いや生き様でその人を見下すことは余裕であったし、今もたまにそれをしてしまう。
特に他人を簡単に見下したり、値踏みする人を見下してしまう性分。
他人に対する軽視の態度って、返って頭悪そうに思うんだもん。
それを態度に出すってことは、ものすごく、油断してるよね。
しかし考えてみたら、それもまた、不健康なダブルバインドなんだよな…
しょうがない。
それをするのがその人の今の状態なのだから。
他人をどうこう値踏みして見下すって、ひとえに想像力不足と傲慢さ、幼さの証明なんだよね。
その人を取り巻く事情っていうのは、目に見える部分だけではないのに、
自分が知り得ない、体験し得ないことをその人は抱えているかも知れないのに。
目に見えることだけ切り取って、独善的な基準で安易に決めつけて判断しているだけなんだよね。
ただ、せめて、
肩書きや立場でその人を見下さない代わりに、肩書きや立場、実績で無闇に尊敬することもしないことにしている。
必ずしも尊敬してなくても、「尊重する+礼儀を果たす」は出来るし…。
尊敬されたかったら、振る舞いや在り方で尊敬されたらいいと思う。
まあ、尊敬されるような振る舞いや在り方の人は他人からわざわざ尊敬されたがらないだろうけど…
不思議と…
他人を尊重するようになったら、
周りが自分を尊重してくれるようになった気がする。
他人のことを無闇に見下したりせずに、尊重したり、時に尊敬した方が、なんかお得みたいだね!
いまだに傲慢になって、忘れてしまいそうになる。
時々、思い出さないとですね。