2020.12.16の記事のリライト。

サードオピニオンのあとに書いた記事です。





優しさってなんだろうなあ。
いつもの禅問答が始まる。




辛いですよね、じゃあお薬を出しますねって言ってどんどんその人の命を削るお薬を増やすことなのかなあ。



「辛いんですね、そうなんですね」と愚痴を聞いてあげて、「じゃあ○○をして下さい」と何かしら指示をしてあげて、自分自身で自分の気持ちを受け止める機会や、自分自身で判断する機会を、悉くすべて奪いながら寄り添うことなのかなあ。



何でもやってあげて、何でも決めてあげて、
その人の生きる力を奪うことなのかなあ。
QOLを日々下げさせることなのかしら。



精神薬と精神科医、医療、福祉、無しではその人が生きて行けないように仕向けることなのかなあ。



以前、
どっぷり福祉の世界の住人の、ある先輩スタッフが、(この言い方にも剣がある😅)




「出来ないことがあってもいいんだよ」と伝えてあげることが福祉の役割だと、言っていました。



私は、得体の知れない違和感に飲み込まれて、大層気分が悪かったんです。



その、気分の悪さの正体が、今なら分かる。



こちらの↑お話に出てくる、おばあさんのセリフで、こんなものがありまして。(オススメのブログです。お時間がある人は是非読んでみて)



「障がいがあるから出来ないんじゃないわ。人間だから出来ないことがあるのよ! それを補い支え合っていくのが人間じゃないの!」




これ。
これなんだよなあ。



出来ないことがあるのは、人間なら当たり前であって、「障害者だから」な訳じゃないんだよなあ。



精神障害にしろ、発達障害にしろ、「障害と診断して楽にしてあげる」ことなんて、おかしいんですよ。



わざわざ障害者を名乗らなくては、
「出来ないことがある」と、言えない
という世の中の前提がおかしいのです。



障害だからではなくて、
出来ないことがあるのは人間ならば当たり前のことなのだから。



出来ないことが多いか、少ないか、自分が不便や不利益を被っているか、色んな視点で考えた上で、社会に障害者として認定して貰うことを選ぶ方が、生きやすい方もいる。それだけの話。
それは全く問題ないと思う。
ただ、そこに悲壮感や憐憫は要らない。




あなたが辛そうだから、
あなたのためを思って、
あなたを障害者と呼んであげる。
だから、出来ないことがあってもいいのよ。


とか言う、第三者。(親も含む)
うげぇ、まぢキモい。無理。
すみません。


優しい悪魔だなあ‥としか思えません。
「出来ないことがある」なんて、人間なら当たり前のことを、わざわざ強調して伝えてあげる、その上から目線のいやらしささえ、この日本では優しさと呼ぶんだね。


あなたは出来ない人なのよ🥺💕✨
もう大丈夫🙆‍♀️
心配しないで🥺💕
障害者にしてあげるから💖
ずっと面倒みてあげる💑


うわぁ。
マジ無理、キモ。(二回目)
吐きそう。
鳥肌立つ。
この気持ち悪さ、分かるかなあ?
わっかんないかなあ?


出来ない自分を許す必要があるのは、他人でも社会でもなく、自分。
ものごとを自分で決めることも、出来ないことがある自分を許すことも、他人に委ねちゃダメ。


元精神薬ユーザーとして、脱メンヘラ(※)をした人間として、その必要性を、私は伝えていきたい。
まあ、普通の福祉の人には嫌われそうだけど😅



優しくされることや優しくすることに酔っ払ったら、
何も変えられないし、誰も救えない。


嗜癖(優しさ共依存)はほどほどにしないとな、
と思うに至りました。






鬼殺隊と精神科病院で薬漬けになってる人では、

20年後の生存率どっちが高いのかな?





※ちなみに、脱メンヘラとは。自分の性格の悪さ、至らなさを自覚して受け止めて生きていくことですよ。