2020.03.04
ある上司(女性)は、精神疾患を持つ利用者さんに対して、たまにびっくりするようなことを言う。
「こいつ頭がおかしいからね、あまり話を聞いちゃダメよ、バカになるから!」
なんて、その人の前で第三者に言っちゃう。
初めて聞くと、結構ビックリする。
でも、別にそれによって場の空気が悪くなることはないのである!
さて、上司から頭がおかしいと評されたその利用者さん。
いつも暇さえあればところ構わずダジャレを連発する人である。
それに対する周りの反応は、いつも2つに分かれるのだ。
笑いの沸点があまり高くない人、
及び
それほどおもしろくないギャグに忖度して笑ってあげるような大人な人々である場合(笑)、
それほど気まずくならない。
それは決して本人の功績ではなく、あくまで周囲の功績によって、その場が優しい空間になるのだ。
「周りに氣を遣わせる能力」があるっていう視点もあるか。
(こういうことわざわざ言及しちゃう私の性格の悪さw)
しかし、
そこに居るのが心に余裕がないメンバーで、
その人を受け入れるキャパシティが足りない土壌である場合、殺伐とした空気になる。
しかも。
そんなとき、それほど面白くもないギャグに「スタッフが忖度して笑ってあげる」という対応を選んでしまうと、困ったことに余計に場が凍りつくことがある。
おわかりいただけるであろうか…この微妙なニュアンスを…
さてさて。
こいつ頭がおかしいから、と面と向かって評された当人は、笑顔。
その上司にとても懐いている。
その上で、いつも上司の隣にいてダジャレを言い続けている。
まるでツッコミ待ちのボケ担当のように。
周囲は初めこそは面食らって苦笑していたが、言われた当人が笑顔なのを見ると、その場が嫌みのない笑いに包まれる。
本人たち(上司と利用者さん)は、漫才のようにやり取りを楽しんでいるみたいだ。
上司はいつも体当たりで利用者に接している。
多分このやり方を20年続けて来たんだろう。
たまたまそのやり方が功を奏したからといって、ほかの人がそのまま細部を拾って真似をしたところで、対応が正しくなるとは限らないだろう。
きっと利用者さんと素で本気でぶつかって、体験して、体感しながら、長年養ってきた距離感があるからこそ、だから成立しているのだろう。
上司の対応は、
セオリー通りのことしか言わない専門職の人よりも、血が通っているように感じるのである。
上司は言う。
「20年前はね、調理実習をしていたら看護師さんが乱入してきて怒られたりしたのよ。『ご病気(統合失調症)の人たちの前で包丁なんか使うなんてとんでもない!』って。せっかく、みんなに生活能力つけて欲しくて一緒に料理してたのにね。…包丁を使うな、なんて言い出したら、1人暮らしの統合失調症の人はどうしろっていうの?餓死しろっていうの?」
当時の精神科の看護師さんの言葉は、まるで病院での患者の様子しか知らなかったのではないかと思ってしまう。
患者を、診察室や病室で、うなだれている存在としか、認識していなかったのだろうか。
その人の生活や、暮らし、日々を無視して?
事件は現場で起きているんだから、病理とか薬理とか、机上の空論はとりあえず頭のいい人に任せよう。
頭のいい人には遠くでガーガー喚いていて貰おう。
月に一回診察室で患者を演じて、しおらしい顔をして言うことを聞いているふりをして置けばいいんだよ。
あなたの生活や人生に興味のない、そんな人にすべてを委ねちゃ駄目だよ。
と、喉元まで出かかる言葉がある。
そろそろ、職場全体が言ってもいい雰囲気になってきたかな?
(これを書いた当時は言えませんでしたが、最近は言っちゃうときもあります。笑)
目の前のその人を見る。
そっか悲しいんだね、
ムカつくんだね、
怖いんだね、
っていう受け止めと
でもそればダメだよ、
やめた方がいいよ、
という分別とけじめ。
それ、いいね。
という、肯定。
あなたはどうしたいの?
という問いかけ。
じゃあやってみようよ!
見守りと応援。
それ以外に必要あるのだろうか。
理屈をこねくりまわすのは、偉そうに他人の人生に介入する烏滸がましさ、
相手に対する「上から目線」に対する罪悪感を、誤魔化したいだけなんじゃなかろうか。
くっそ、何様だよ。
何様だよ。
何様だよ。
…って自分自身に嘆く。
目の前の人を、
可哀想な人として接したいの?
一人の人間として接したいの?