私のこの文章は、みつろうさんの記事に敢えて同期させていません。
意図的にです。
みつろうさん、これ、陰にも陽にもでるねえ…。と思ったから。
相手と同期するには自分を敢えてグラグラさせる。
「自覚をしながら」やるからこそ汎用性のある技術になるのですよ。
と、いうことは。
普段からグラついているような自分を持っていない人が(自覚なしに)グラついた状態でそのまま楽しそうな集団に触れると、(自覚なく)同期してしまう。
ということで。
良い、悪いでなくて「そういうものだと理解」しておくといいことなんだと思った。
色んな相手や、色んな集団いますから…。
同期したい!と心から思う人たちと
フッざけんなアホか!
って人たちと、両方私は居ます。
まあ、こどもの頃から、フッざけんなアホか!な集団に努力して同期して生きてきたんですが。
多数決という集団に。
ああ、わざと自分をグラつかせる技術を私は今まで、鍛練して生きてきたんだなあ。
母親という鬼名コーチに付き添われながら。
相手や集団から離れた瞬間にモーレツに我に返るんですよ。
日本人、これ、多いよね。
家に帰るとゲッソリ。
で、たちが悪いことに、疲れるのを相手のせいにするの。
自分が好きで合わせていた癖に。
わざとグラつかせている、わざとシンクロさせている、というのを「自覚」してないと技術じゃないよね。
無自覚なグラグラな人がつい相手に飲まれちゃうってことと同じ現象だもの。
良いものとして使えるか、悪く出ちゃうかって話で。
何も深く考えずに、感じるだけで生きて行けるならば、本当に生きやすいんだろう。
ちゃんと普段から感じることが出来れば、例えば誰かを吊し上げたり苛めたり、低い波動の集団に同期したいとは絶対に思わない筈。
集団に同期していながらでも、今、この流れは変だなあって、ちゃんと気がつくことができる筈。
合わせなきゃいけない。
空気を読まなくちゃいけない。
相手を否定してはいけない。
和を乱してはいけない。
一人になる恐怖から、大事な感覚をなくしていく。
目の前の些細なことをバカみたいに考えるから、どんどん濁るんだろうね。
敢えて「踊る阿呆」に自分の意思でなった場合、疲れないのかもなあ。
無理矢理いつの間にか巻き込まれたらぐったりだけど。
リブログ記事中盤、やや後半の、
本気で殺し合うなんて、相手を愛してないと出来ない行為
ってところ、好きです。
今日は片足立ちでみそかもうでしようかな。
最後に、もう一度、敢えてグラグラになってみつろうさんの記事を読んでみようっと。
敢えて。
