森光子さんが80歳を超えても「でんぐり返し」を演じていた戯曲『放浪記』の原作。
1922~1926(大正11~15)年の5年間書きためてきた日記が、1928~1930(昭和3~5)年に亘り、雑誌「女人芸術」に連載されたもの。作者は1903(明治36)年生なので、19~23歳の出来事となる。
8歳の時、両親が離婚、母親は再婚し、一家は行商生活に入る。生まれながらの貧乏生活。この母親の再婚相手がダメ男。妻子が稼いだカネを持って博打に使う。それでも、そのろくでなし男と離れられない女、というシーンが登場する。私にはそういう女性の心理がよく理解できません。
さて、歴史的な背景を考えてみる。
第一次大戦(~1918年)後の戦後恐慌、関東大震災(1923年)後の震災不況から、金融恐慌(1927年~)に至る長いリセッション期にある。本編にも、不景気と何度も記載ある。女学校卒ながら職を転々としたのはそのせいかしらと思う(そういう記載はないが)。
政治面では、治安維持法(1925年制定)による社会主義者の取締りが始まった時期に重なる。芙美子さんは堂々と「大杉栄が好きなのです」と書いちゃってる。いいのかしら。更には、「おいたわしや、気が狂ったと云う陛下」。マズ過ぎるでしょ。不敬にもほどがあるって。
芙美子さん名言集と共に、感想。
●「汝の名は貧乏なり」
●「金が欲しく候」
●「ああ浮世は辛うございまする」
第一部に描かれる作者の困窮生活は凄まじい。本作に紹介されている、作者の職歴を挙げてみると、あんパン売り、菓子工場の女工、猿股売り、薬屋の助手、玩具工場の女工、牛鍋屋の女中、カフェの女給、株屋の事務、舶来雑貨店の売り子、新聞社の記者、となる。貧乏なるも、心は萎縮していないどころか、却って奔放なところが魅力的。
自分で学費を稼いで高等女学校を卒業している。1922(大正11)年当時、尋常小学校で終わるのが普通であり、女学校卒は立派なインテリである。その知的向上心が日記にもよく現れている。カフェ女給をやりながら、夜中まで、作家になるための勉強を継続し、童話や詩を執筆して出版社に売り込んでいた由。素晴らしい。
貧困を脱するには学問。これは現代にも通ずる鉄則だと思う。
●「私は男にはとても甘い女です」
●「冷たい接吻はまっぴらなのよ」
芙美子さんには男が自然と寄ってくる。そして、男を振り捨てて屋台で酒を飲む。「いい女」よりも「かっこいい女」なのだろう。「かっこいい女」になったのは、大失恋をしたからだと思う。家柄や実家の経済状況を理由にされるくらいなら、こちらからNo Thank You.だね、という強さがあるなり。
この断定助動詞「なり」終止形を口語文に時々付けるところが、芙美子さんのセンスなり。どんな場面に「なり」を付けるのか、何か法則があるのかしら?と思慮するも、わからん。
女性一人で生きていく難しさは現在とは比較にならないくらいだったと想像する。芙美子さんを蔑ろにしてきた社会や男たちは、一躍スターダム(売れっ子作家)にのし上がった芙美子さんをどう思ったろう。一方で、芙美子さんは、相手がどうだろうが、優しく接したと想像する。飽く迄も私の想像。
ここまで書いた後に解説を読んだ。本作は発禁処分になっていた由。さもありなん。
次は晩年の大作、『浮雲』。
(写真は表紙から引用)