1947年刊。1957年ノーベル文学賞受賞。
仏領アルジェリアのオラン市で大規模なペストが発生してしまう。
自分たちは何もコントロールできない存在であり、人生の不条理は避けられないという考え。それが不条理文学の基本であって、カフカ、カミュはそれに当たるというのが文学史の通説。
カフカが『変身』で、朝起きたら虫になっちゃってんじゃん!ありえねーだろ、これ!という個人の不条理を描いた一方で、解説によると、カミュは集団とか自治体とか、大規模な不条理(この場合、ペスト)に対する多様な人々の夫々異なる反応を描く。街じゅうにネズミが繁殖して、人はバッタバッタ死んでいくし、どうすりゃいいねん!って、確かに同類だ。
さて、評論家によると、本作でいう「ペスト」とは、ファシズムの比喩という解釈が一般的らしい。
本当かしら?私が読む限り、ペストにはナチスの匂いが全くしない。該当するかも?と思う箇所は、医師リウーとの会話で、愛・誠実・観念といった感情でもってペストに勝てるか?という議論をする最中に、新聞記者が「僕はスペインの戦争もやりました」「ヒロイズムは人殺しを行うものだ」と云う箇所だけかな。
主人公リウーは医師。神なんか信じないと言う。曰く「神にとって、人々が自分を信じてくれない方がいいかも知れないんです。あらん限りの力で死と戦った方がいいのです」。つまり神なんかは我々をペストから救ってくれないから、自分で戦うのだ、と云う。そして、「際限なく続く敗北です」と負けを認める。
ファシズム相手に、永遠に勝てない、と白旗あげるだろうか?しかも終戦直後に。
だから、私は、ペスト=ファシズムとは思わない。
閑話休題。
1947年作ながら、今回のコロナ禍と同じ状況が語られる。75年経っても同じだとよく判る。
例えば、
ロックダウン(都市封鎖)、しかも違反者は投獄の刑。旅行者はホテルから出られない。
すべての店は閉鎖している。
サプライチェーン断絶によるモノ不足、物価高騰
家族が亡くなると、看病した方も隔離期間に入る。
ホテルが隔離場所に使われる。
電車は満員(テレワークは登場しない)だが、乗客は互いに背を向けている。
教授が、ペストが続く期間について新聞で述べている。
医師・看護師による「保健隊」が結成されるが、労苦に疲れ果てる。
血清(ワクチン)が開発されるが、製造が追いつかない。
毎日死亡者数が発表される。
遺体は家族に看取られず、火葬される。
神父の説教という名の長い演説シーンがある。要約すると、「神の御心は、死と懊悩と叫喚の歩みを通じて、我々を本質的な静寂に、あらゆる生活の本義に導いてくれる」。いいこと云う。ところが、ペストを人間の犯した罪の「当然の報い」とするところがいけない。そして神父は罹患し、医師の診察を拒否して死ぬ。科学を信じましょう。
そしてペストは収束。
だが、最後の頁は、ホラー映画の最後のシーンみたいで怖い。
抜粋。
「ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古のなかに、辛抱強く待ち続けていて、そして恐らくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼び覚まし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうということを」。
NO MORE。