1993年、遠藤が亡くなる3年前、70歳のときに刊行。遠藤の生涯のテーマ「キリスト教と日本人」の最終章。

 

時代設定は、インディラ・ガンディー首相暗殺に遭遇したとあるので、1984年10月。

 

遠藤作品を多く読んできたので、本作では遠藤自身の人生を少しずつ切り分けて登場人物に託していることに気づく。

大津:カトリックの家に育つ、フランス留学

沼田:少年期に満州にいた、両親が離婚、結核手術、代わりに九官鳥が死ぬ

遠藤はこの作品で自身を主人公にしたかったのかしら?

 

そして、それまでの遠藤作品の内容がところどころに再度登場する。

『沈黙』:神の沈黙。

『満潮の時刻』:遠藤の結核手術手記。『深い河』では沼田が結核手術で死の淵を彷徨うが、一命を取り留めるが、病室で飼っていた九官鳥が身代わりの様に死ぬ。

 

インドツアーに参加した人たちの参加目的も凝っている。

「私」が登場しないので、主人公不在の様にもみえるのだが、敢えて主人公を設定すると、

①    磯辺:妻が臨終のうわ言で輪廻転生を口走る。それを探しに→妻の生まれ変わりはいない。

②    沼田:九官鳥へのお礼→買った九官鳥を自然に放つ。

③    木口:インパール作戦の生き残りとして、戦友を仏陀発祥の地で弔う→ところが、インドがヒンズー教だらけと知って、愕然とした。でも、人肉を食べた過去を美津子に告白するのは、ガンジスの力。

④    成瀬美津子:大津の云う愛とは何かを探るが、真似事の愛の存在を認知するには至るが、本当の愛は判らない。その代わり、人が祈りを捧げる「人間の河」を知り、祈りを知る。

⑤    三條夫婦:倫理観を欠く、バカ夫婦。

 

そして、インド在住の二人

⑥    大津:神父を志すも、フランスでは基督教修道院、インドではヒンズー教修道院を追い出され、貧しいインド人の死体を運び、ガンジスに流す仕事をしている。彼は多くの名言を残す。「神は色々な顔を持っておられる」として、基督教、ユダヤ教、仏教、ヒンズー教のいずれの信徒にも神は存在すると説く。「日本人として、基督教がこれだけ拡がったのも、色々なものが雑居しているから」。そして、三條を庇って、壮絶な最期。

⑦    江坂:ツアコンだが、インド哲学者を目指しており、日本人ツアー客にはうんざりしつつも、本質的なヒンズー神を熱く語る。

 

ということで、主人公は大津に決定。大津の引き立て役は美津子で、美津子の背中を押すのはその他の人々。遠藤は大津をして、『日本人にとっての神』の定義を言わせた。異なる宗教でも、同じ目的地に到達する限り、異なった道を辿っても構わない。

 

美津子の名言「(ガンジス川は)ヒンズー教徒のためだけではなく、すべての人のための深い河という気がしました」。わかってきたね。そして美津子はサリーに着替えて、ガンジスで沐浴するに至る。

 

最後に、成瀬美津子さん。谷崎潤一郎『痴人の愛』の読後だったから、ナオミとダブります。学生時代は、女の武器を最大限に利用して、持てない男を弄ぶ悪女。これはナオミと芸風が同じ。ただ、美津子さんは、チャラ男と結婚・離婚し、自分に愛情や慈悲の心が欠けていることを自覚し、真似事でもいいからと、末期患者のボランティアをやったり、愛とはなにか?を追求する為にインドに行ったり、30過ぎてまともになった。

ナオミにはその自覚は微塵もない。