『刺青』『少年』『幇間』『秘密』『異端者の悲しみ』『二人の稚児』『母を恋うる記』、いずれも中~短編。一気読み。
耽美を感じる描写力。
この人、天才。
『二人の稚児』
比叡山で修業中の男子2人。仏典から怖いものと教えられた女人への畏怖、怖い物見たさ、見ないことには否定もできないという理由で、一人は行く。その結果、世俗に溺れる。もう一人は誘いを断って仏門に生きるという話。
これって谷崎?というくらい非耽美的。快楽以外にも極楽はありますよ、という意味かしら。
『秘密』
粋な男と女。女装趣味も粋といえば粋な秘密だが、女装していても、女性には「昔の男」がわかるんですね。女も自宅や身の上を隠すが、ちょっとした隙で知られてしまう。夜と違って所帯じみた姿。男は「それきり女を捨てた」。「捨てた」という言葉が明治時代だ。
そして、「秘密」という手ぬるい快感では満足できず、「血だらけな歓楽」に傾いていった、とある。これって自叙伝じゃないの?と解説に期待したが、そうでもないみたい。
さて、ここから谷崎の耽美文学が始まる。
『異端者の悲しみ』
逆に、よくもまあ、こんなどうしようもない男を描いたねと感じたのがこれ。友人から借りたカネを踏み倒し、催促してきた相手が亡くなったことを幸運と喜び、親のカネを持ち出して酒を飲み、借りた本を売ったカネや学費を娼婦につぎ込む。無計画に酒や享楽に溺れ、肺病で余命幾ばくもない妹に罵声を浴びせる、こんな悪党、滅多にいないというくらいの、放蕩カス男である。不道徳に快楽を覚え、奇怪な夢をみる癖、独り言を呟く癖。自らの心の病と自覚している。そして「臆病で病的な神経」、治癒できない「魂の疾病」という全く許せないレベルの言い訳も堂々としている。
妹の死後2ヶ月、彼は小説を発表する。自らの頭の中にある怪しい悪夢を題材とした、甘美にて芳烈な芸術だった(と好評だった?)。ここまで読んで、この放蕩男が小説を書く、で終わる?意味わからんと末尾の解説を読んだところ、事実そのままに近い、谷崎の自叙伝とある。自責に駆られての筆。だとしたら、若い頃、相当なダメ男でしたね。
私の感想「小説で儲けたカネで、踏み倒したカネ、返済した?」。
更に耽美を満喫したいから、暫く谷崎に没頭したい。