販売心理学は以前から取り上げられてきたものだ。最近では脳科学マーケティングという言葉もある。本来心理学と脳科学は別の学問として扱われているが、現在のところは販売心理学と脳科学マーケティングに大差はない。この授業ではこの両者をややあいまいに同一のものとして扱う。

無名取引において顧客の属性によらず販売するのが大原則であり、個々の顧客の属性を顧客の名前と結び付けて個別に扱うことは難しいため、顧客の属性を統計的にとらえて扱うことが必要になる。その顧客の属性には様々な種類があるが、顧客が購買行動を起こす際の心理的な性向も大事な属性である。ビジネスの現場ではそうしたそれぞれ違った性向の顧客により多く支払ってもらうためにさまざまな試行錯誤が行われている。

カーネギーメロン大学の研究では無料DVDの翌日配送料の記述を「わずか5ドル」と表記することで5ドルを少額だと気付かせ20%のケチな人への購買意欲を促した。

また浪費家は購入したものがどんな不具合が生じても保証してもらえるという安心と引き換えに多額の費用を払うという条件において補償を受け入れる可能性は高い。電気店の店員が延長保証についてすべての顧客に尋ねるように訓練されたり、ファーストフードの店で注文すると即座にサイドメニューを勧められるのは、そうした保証を受け入れる顧客に対して働きかけをするためである。

 

販売心理学という言葉はよく耳にする。私たちが日常利用するようなスーパーマーケットやコンビニの商品の陳列配置はお客が商品をつい買ってしまうようになっていると聞いたことがある。これも販売心理学を利用しているのだ。

販売心理学というのはビジネスにおいては常に必要とされる要素だ。店の前にいてもこの店に入りたいと思わせるのも販売心理学だし、その店に入れた客に何かお金を払わせようと思わせるのも販売心理学だ。この販売心理学を利用することなくしてはビジネスを成功させることはできないだろう。

要約

店作りで大切なことはまず「感じが良い店」と好感を持ってもらうことである。お客がその店に「嫌な店」という印象を持ったら、その店には入らなくなり売り上げをあげる可能性はゼロになってしまう。逆にお客に好感を持ってもらうには人間の五感のうちで最も訴求力が強い視覚に訴えるのが良い。視覚の中で最も影響力の強いのは色彩である。

人間には人間が生存するための自己防衛本能から発達した、理性では抑えることのできない「感情」がある。感情は「感覚」→「知覚」→「感情」というステップを踏んで形成される。

日本人は民族的に情緒型のため、原理原則型の欧米人に比べ、感覚から知覚を経ずに直接的に感情へ行きやすい。だから日本ではお店に好感を持ってもらうにはお客の感情に訴える手法が非常に有効なのである。例えば良い商品を扱っていても、店構えが悪いと視覚などの情報からその店に対して悪い感情が生まれ、その店は敬遠されることになる。商品の品質が優れていても売れない商品はあるし、それとは逆に商品の品質が他と比べても対して良いわけでもないのによく売れているという商品も存在する。

お客の感情面に訴求するにあたって大事なのが「視覚」の活用である。

人間には論理的に考え判断する理性と好き嫌いなどの非理性の2つがあり、人間の購買行動における割合は1:9と圧倒的に非理性の力が強い。だからこそ先に「何となく感じが良い、雰囲気が良い」という非理性による評価を得ないとその店を繁盛させるのは至難の業になる。

人間が五感から得る情報は約83%が視覚からで作られ、視覚の80%は色彩によって影響づけられる。つまり人間が得る情報の70%弱は色彩で作られるため、この色彩を店づくりに活用しない手はない。

 

商売においてお客の心を操作することは非常に重要である。そのお客の心を操作する上で特に重要なのが視覚から得られる情報についてだ。例えばラーメン屋を例に挙げても、まず店構えが薄暗くジメっとしてたり、店主の身なりが汚かったら誰でも食べる気をなくしてしまうだろう。さらにそうした店や店員を見るとたとえそうでなくともそれらに対して悪い印象を持ってしまいがちである。だからこそ経営者はお客の心に少しでもいい印象を与えられるように努力しなくてはいけない。そうして初めてお客の非理性に訴えかけることができ自然とお客の足が向かうような店づくりができるのではないか。

今日はビジネスモデルについての授業であった。ビジネスモデルという言葉の意味はアメリカから輸入されたものだが英語では一般にビジネスメソッドと呼ばれており、ビジネスモデルと言っているのはもっぱら日本だけである。そもそもビジネスモデルとは「儲けを生み出すビジネスの仕組み」である。このビジネスモデルがインターネットとの関連で語られるのは、インターネットの登場で、既存のビジネスモデルを革新する可能性が広がったからである。日本ではビジネスの方法そのものは特許の対象とされていないが、インターネットやコンピュータなどを用いたビジネス方法であれば特許対象となり得る。身近な例でいえば、私たちの先輩にあたる明治大学商学部卒の女性が立ち上げた高齢者向けの訪問型IT支援サービスはFacebookを有効活用してローコストでの組織運営を実現している。また増税を意識したビジネスモデルもこの先注目される可能性がある。海外では日本でいう消費税に相当する付加価値税が20%前後と非常に高いが、生活必需品については軽減された税率が設定されていたり、業者を介さない事業目的でない個人の売買は課税対象とならないため負担を減らすための工夫を凝らすところが増えてきている。税の負担が重くなることは一見マイナスとしてとらえられるがそこにはビジネスチャンスが潜んでいるのだ。

 

 

ビジネスチャンスはどこにあるかわからない。一見利益が出るのかというところにもかなりの利益が存在していたりする。私は今まで無料で提供されるスマホアプリなどのコンテンツは善意から成り立っていると思っていたがそうではないと知った時はなかなかに衝撃的だった。これらのコンテンツを支えているので一番有名なのは広告料だろうか。最初に広告料というシステムを考えた人はすごいと思う。私が聞いたことあるのは江戸時代に自分の店のロゴを大きく書いた傘を雨の日に無料で貸し出して自分の店の宣伝をお客にさせたというものだが、傘が返ってこないリスクもあるし宣伝というのは客とのお金のやりとりが見えないために効果が現れるまで時間がかかるだろう。それを一つの商売の手段として確立させたのはすごいと思う。

 

 企業経営者に注力してきたことを問うと、たいてい社員教育という答えが返ってくる。企業活動においては社員教育に割かれる時間と労力は大きい。これは厳しい環境であればあるこそ「学習する組織」以外は生き残れないからであり、これを実践している経営者は優れた教育者だと言える。教育指導の能力は社長の条件の一つなのだ。

 仮想的な例でこれを詳しく説明すると、教育をする時に指導者は実際に手本を見せてあげる必要がある。お手本を見せるということ自体はそんなに難しいことではないが、かなりの労力を伴うことを覚悟しなくてはならない。教育において格下の相手に何かを先に出させる事は指導者のやるべきことではない。

 お手本を見せるということをしたら次に指導者がやるべきことは褒めるということだ。教育を受ける初心者は自分の行動を否定されると最初は反発したり発奮するが、限界を超えると努力をする気力を失ってしまう学習性無力感に陥ってしまうのだ。学習性無力感はなってしまった人の責任というよりは教育者の責任問題となってしまうこともある。ただ褒めるというのにも限度は必要であるが、褒めるということは学習性無力感に陥らないようにするには少なからず必要であるため、良い教育者となるため、さらには良い経営者になるため、褒めるということに気を使えば指導者として大きく成長できるのではないだろうか。

 

 本文では社長の条件として優れた教育者であることを挙げている。確かに日本の終身雇用制度で考えれば若手や新人の教育に時間や労力をかけても、その後十分にリターンが見込まれるために教育にかけるコストは決して無駄にはならない。また優れた教育者は「やって見せ、褒めてやる」とあるが、やはり優れた教育をするには手間がかかるらしい。しかし教育者自らが見せるということは非常に効果的な教育方法であるだろう。放任主義という言葉もあるがやはりお手本が無いと初心者は不安を感じて動けなくなってしまうだろう。やはり初心者にはまずは実際に見せてあげてやらせてみるということが重要なのではないだろうか。そしてどんな小さな成果でも褒めてやれば初心者はやる気を継続させて物事に向き合うことができるだろうし何より次もやってみようと挑戦する意欲が湧くだろうと私は思う。

今日の講義の前半は明治大学の学生が騙された詐欺の手口についてであった。120万円払えば年間で何千万も稼ぐ社長にしてくれる研修があるという手口だ。まぁそんな美味しい話があるわけもなくこの手口は詐欺だという知識がある状態で講義は進められた。社長になるための研修はなにも120万だけを払えば良いってものでもなく、社長が着るのにふさわしい背広や鞄などで50万、会社を軌道に乗せるコンサル料、無理な量の仕事を押しつけたうえでの違約金など、学生ではとても払えないような金額を請求されるという。幸いと言うべきか、その話に出てきた学生は先生が詐欺だと気付き、対策を取った為にその詐欺からは抜け出せたという。しかしこのような詐欺は学生側もその時は納得してお金を払ってしまうために裁判などで有利に事を運ぶということは極めて困難らしい。しかしお金を払えば社長になれるわけではない。講義の後半は起業にとって必要なことについてだった。まず売れる商品やサービスがなければ話にならない。あとはその売れるものを持続的に製造、調達する「人、物、金」であったり、それらを管理し処理する組織や人脈、資金など、起業必要なものは数多く存在する。最後に先生は学生のうちは起業はリスクが大きすぎるのでやめたほうがいいと忠告し、会社で少なくとも10年は経験を積み、周囲から尊敬されることが社長になるための最低条件だと言っていた。

 

 私は別に社長になりたいわけではないが社長になる最低条件というのは大いに関心がある。人が生きていく中で全ての人が満足する結果というのは存在しない。そうなるとどこかで自分の欲を優先させてしまったり周りを見れない人が出てきてしまう。そういった人には誰もついては来ない。なにも自分の欲を捨てて聖人になれと言っているわけではなく、成功して多くの人に尊敬されるような人は格というか徳というかそういったものを感じる。なかなかそれは一朝一夕では身につかないものではあると思うが、私も社長にはならなくても人として尊敬されるような人間になりたい。