私がこの国へ永住したのは1981年で、当時テレコムオーストラリアと言う電話局が回線を所有し通話網を独占していた。電話を新しく設置するには、ここに申請をするか、又は前の持ち主の契約を引き継ぐか、どちらかであった。私の場合、中古の家を買ったので、後者だった。

電話局は政府が運営していて、以前の日本での電信電話公社に似ていた。モービルホーンの普及が盛んになってきた2000年より、他国の通信会社も、この国への参入が始まった。いわゆる電話の再編改革時代となったのである。この時にテレコムオーストラリアはテルストラと名を変え、半分は政府、半分は民間の会社となった。

参入一番乗りでやって来たのはオプタスというアメリカやヨーロッパで活躍している国際通信の会社だった。すでに数個の衛星と大規模な通信網を持っていた。この頃、ラジオのニュースを聞いていたら、衛星で送られてきたオプタスのインターナショナルコールをテルストラが国内の顧客の電話回線に繋がないという事態が起きた。この一件は他の報道機関でも大きく取り上げ、解決するまで相当時間がかかった。

両社は相互回線使用の件でどのような契約を交わしていたのか知らないが、テルストラが意図的に繋がなかったことで、「立派な会社なのに、みっともない行動を取るなあ」と思ったものである。日本での親方日の丸のような体質の会社たったから、他社との激しい競争を前に、相手をけん制して、このような恥かしい態度に出たのかも知れない。それ以来、当社の信用は失墜した。

2001年から私はインターネットを始めた。プロバイザーはオーストラリアの富豪ケリーパッカー氏の息子が起業したワンテルワンネットという会社だった。パソコン業界の広告やテレビでもじゃんじゃんコマーシャルをしていたから、誰でも知っていて、私の周囲でも入会している人が多かった。

その会社は私がインターネットプロバイザーとして登録、アドレスを貰った3ヶ月後に倒産、電話の使用及びインターネットのアクセスが出来なくなってしまった。ITバブルの弾け始めた頃で、大きな設備投資と雇用人数が多すぎた為、運営が難しくなり、自滅したと思われる。

私は次に選んだのはビッグポンドというテルストラ系のプロバイザーだった。ここなら潰れる心配はない。私の家の近くにパシフィックフェアーという大きなショッピングセンターがあって、その中にこの店があった。

政府が運営していた頃は、大きなビルディング全体がオフィスとなっていたが、他社参入後の改革で、電話一般業務の受付とモービルホーンを売る小さな店をあちこちのショッピングセンター内に構えるようになった。そしてインターネットプロバイザー入会受け付けもやっていたので、私は手続きをし、当社指定のCDを使って自分でインストールをした。少し前までは、ADSLのブロードバンドシステムはなくて、ダイヤルアップのみだったから、インターネットアクセス中は電話の使用は出来なかった

数ヶ月は何の問題も起きずインターネットを楽しんだ。それから徐々に接続状態が悪化してきた。ウイルスの影響やパソコンの故障でもない。五分後、十分後に突然切れ、再び繋ぎなおさねばならなくなってきたのである。

契約書の条件に20分間のアイドルタイム(マウス、キーボードを触らない状態)又は、連続4時間使用すると自動的に切れると書かれてあるが、まったくそれにも該当しない。接続が切れるたび画面に、そのメッセージが出るから、切れてはつなぎ、切れてはつなぎしながら使っていた。ダイヤルアップインターネットはローカルコールで、つなぐ度に電話料金が加算される。一通話はたいした料金でないが、つなぎなおす回数が多く、それが毎日となると相当な金額となる。直接ビッグポンドに電話をしたら、「原因は不明」と言って取り合おうとしなかった。それでとうとう我慢出来なくなって、入会手続きしたその店へ苦情を言いに行ったのである。

受付で加入書類を見せ、その用件を伝えると、「当店は一切関係がない。この番号に電話するように」と言われた。「そこへ電話をした。しかし、うまく対応してくれない。それでここへやってきた。なんとかしてほしい!」「当店では一切苦情は受け付けない!」と店員は言う。「しかし、私はこの店で手続きをしたのだ。責任を取って欲しい!」と大声で言ったら、中から、店長が出てきた。いつの間にか回りに数人の客がいて、当店内でトラブルを起こしたくなかったのだろう。店長が「何事かと?」部屋から飛び出して来たのである。