「J.BOY」に収録されているシングル曲

 

「もうひとつの土曜日」前編  

 

 

昨夜眠れずに泣いていたんだろう

彼からの電話待ち続けて

テーブルの向こうで君は笑うけど

瞳ふちどる悲しみの影

 

息がつまる程 人波に押されて

夕暮れ電車でアパートへ帰る

ただ週末の僅かな彼との時を

つなぎ合わせて君は生きてる

 

もう彼のことは忘れてしまえよ

まだ君は若く その頬の涙

乾かせる誰かがこの町のどこかで

君のことを待ち続けている

 

振り向いて

探して

 

君を想う時 喜びと悲しみ

ふたつの想いに揺れ動いている

君を裁こうとする その心が

時におれを傷つけてしまう

 

今夜町に出よう 友達に借りた

オンボロ車で海まで走ろう

この週末の夜は おれにくれないか

たとえ最初で最後の夜でも

 

真直ぐに

見つめて

 

子供の頃 君が夢見てたもの

叶えることなど出来ないかもしれない

ただ いつも傍にいて手をかしてあげよう

受け取って欲しい この指輪を

受け取って欲しい この心を

 

 

 

 「陽のあたる場所」からの続きです

 

数年前、事務所のつけっぱなしのTVを観ていたら

「あなたにとって思い出の曲は?」

という特集コーナーを

夕方のニュースワイドショーでやっていました

どこの局でもよくやっているネタですね

 

50才を超えた主婦の方かな〜

「浜田省吾さんの「もうひとつの土曜日」です」

「その曲のどこが良いですか?」

「この失恋ソングを聴くと当時を思い出して

 懐かしく切ない気持ちになるから」

 

「え~!どこが失恋ソング?歌詞知ってる?」

テレビ観ながら突っ込んでしまいました(笑)

 

バラードは全て失恋ソングと

決めつけているのかな?(笑)

 

 ご存知の通り、失恋ソングではないですよね

またそこらの恋愛ソングと比較するのも憚れる程

主人公の切ない想いを綴ったバラード

 

彼女の気持ちや想いに、何もできないけれど

我が事のように心配し、悩み、心痛め

最初は見守っていただけと思われる彼は

最期に彼女に対する想いを

ストレートにぶつける

 

主人公の心情を想うと本当に切なくなる曲です⋯

 

 自分の事で泣いているんじゃなく

彼女の心情や辛い気持ちを想像しては思い遣ったり

また彼女を心の中で責めたりして

彼はいつも泣いていたんだろう

と言うよりも、勝手に泣けてきて…

無意識に彼女の心を思い⋯⋯想像し⋯⋯

また勝手に泣けてきて⋯⋯

何度も何度も繰り返してきたのだろう

 

省吾の歌詞の行間から、その様に読み取れます

 

謙虚で誠実な主人公なんですね

自分に酔っていないし

彼女に対して奢った事を考えてしまった時には

自身を責め、傷ついている

 

 この曲の彼女は「不倫中」と「普通の恋愛中」と

発売時より2種類の意見があったけれど

今年還暦の私は37年間

「陽のあたる場所」と「もうひとつの土曜日」の彼女は

同一人物と言い続けてきましたので

「不倫中」それも「終わりかけ」で想像しています

勝手に言ってろって感じですけどね⋯⋯(笑)

 

 

 

 1986年(昭和61年)

固定電話しかない時代

FAXも電話機そのものが機械にくっ付いており

受話器を持ち上げ、FAXの電話番号をプッシュし

奇妙な接続音を受話器で確認して書類を送信していた

 

ポケベルも「すぐ電話しろ!」の呼び出し音のみで

営業マンか怖い人達(笑)しか持っていなかった

 

文字入力のポケベルやPHSや携帯電話が

一斉に普及し出すのは

ここから約7~10年ぐらいあと…

そんな昭和時代の終わりかけのお話です

日本むかし話のような表現ですな(笑)

 

 

 

 彼女がトイレか炊事室へと席を外します

しばらくして数分後、不自然にならないよう

時間を多少ずらし彼もトイレに立ちます

 

「裕子ちゃん」

廊下で彼女の後姿に呼びかける

「あ~ 誠君」

振り返り小さく微笑みながら応える

同期入社の二人なので、社内でこのように

呼びかけあっても不自然ではない

 

今年、昭和61年(1986年)で25才の二人

2023年には62才63才となる

私はお二人の3学年後輩、今年度の還暦組です

誰も聞いていませんね(笑)

 

日本ロック界の歴史アルバムを彩った

甲斐バンドが華やかに解散し

甲斐よしひろがソロ活動を始めた年

浜田省吾が「浜田省吾」を完全確立させたアルバム

「J.BOY」がリリースされた年

この作文には当然そんなシンガーは

存在しないのですが⋯(笑)

 

現在55才~65才ぐらいの人には分かると思います

クラスに一人はいた名前、誠と裕子

 

「愛と誠」はやったな~(笑)

話がそれてはいけません

 

 

 3年前の春、新卒で入社し、同期は10人いたが

同部署の一人は家業を継ぐと言い昨年退社した

機械メーカーの本社ビル

総務部所属の彼女と事業部所属の彼は

距離は離れているが同じフロアーにいる

製造・営業部門と総務部の中間パイプ役の事業部は

共有している業務が3割程ある為

仲良いグループ合同でよく飲み会を開催したりする

他の新卒は製造工場担当や営業の為

ほとんど接点が無くなってしまった

 

 

「裕子ちゃん、今日帰りにお茶でも行かない?」

「今日?」

あきらかに「できれば断りたい」という表情だ

「明日は完全休日の土曜日だからさ」

「色々聞いて欲しい話もあるしね」

他の同期社員の名前を出して半ば強引に誘う

 

 

  昨夜眠れずに泣いていたんだろう

  彼からの電話待ち続けて

  テーブルの向こうで君は笑うけど

  瞳ふちどる悲しみの影

 

 

 ーできればアパートに帰したくない

  君だってもう電話はかかってこないって

  わかっているのに

  アパートでじっと先輩の⋯係長の⋯電話を待つの?

  そんな君の姿を想像すると

  悲しくなるよ…

  泣けてくるよ⋯ー

 

 

 昭和50年代半ばぐらいから

少しづつ週休2日に移行して行った

会社によって違うが移行期は隔週だったり

第一第二土曜だけが休みだったりもした

 

映画もドラマも流行り歌の歌詞も

「恋人たちは土曜日の夜⋯⋯」が

「恋人たちは金曜日の夜⋯⋯」に変わっていった時期

 

「ごめんな~無理に誘っちゃって」

「いいよ~同期のよしみってやつか~?」

冗談ぽく彼女が笑いながら切り返してくる

 

 

 ー彼女の笑顔を見てホッとする

  やはり彼女は笑顔が似合う

  淋しそうな表情は似合わないー

 

 

 行きつけの店がある

会社と最寄りの駅の中間地点くらいに

学生の頃から行っている「くわらんどう」

昼はジャズ喫茶、夜はジャズバーの

ビルの地下にある老舗

 

会社の人達には教えていない

自分だけの隠れ家的な店にしている

 

 平日の昼に行くと

いわゆる常連の人たちが

一人の時間を楽しみながらランチをしている

中年のサラリーマン、一人っきりの制服姿のOL、

恋人らしき20代のカップルはランチデートのようだ

安価にて焼きそばや焼うどん、サンドウィッチなどの

軽食をランチとして提供している

 

以前、2次会で彼女と同期のもう一人と3人で

この店に来ている

家業を継ぐために退社したのがこの同期のもう一人

 

 店内で待ち合わせ

カウンター5席、8人掛け円形BOXが2台

4人掛けテーブルが9台の小さな店

地下の店らしく天井が低く

セピア系の照明でうす暗い

 

彼は奥の隅に腰かけ彼女を待つ

テーブルの上には

セブンスターのソフトパッケージと

ZIPPOのスリムケース

お店の銅版の薄い灰皿

 

「ごめんごめん、待たせちゃったね」

彼女は彼の15分ほど後に店へやってきた

 

18時30分、中途半端な時間の為、客もまばら

雨も降り出したから客足も鈍いのだろう

 

バータイムに切り替わる夕方の90分程は

軽いスタンダードや洋楽のスローポップスなどを

BGMに流していた

 

この数年間、カバー曲が世界中で大ヒットした原曲

ガゼボの「アイ ライク ショパン」が流れている

日本でのカバーはユーミンが作詞をした

「雨音はショパンの調べ」を小林麻美が唄い大ヒットした

 

「大好きこの曲」

彼女は彼の差し向かいに座りながら軽くハミング

「雨が降ると、小林麻美の雨音はショパンの調べが

 なぜか頭の中をぐるぐると回るよね」

「確かに…知らず知らずに口ずさんでる」

 

この当時の「あるある」です

そのくらいに大ヒットしました

 

 

  息がつまる程 人波に押されて

  夕暮れ電車でアパートへ帰る

  ただ週末の僅かな彼との時を

  つなぎ合わせて君は生きてる

 

 

「急に誘って悪かったね」

「ううん、この時間に帰っても

 息が詰まるくらいの満員電車だから

 逆に良かったかな」

「なら良かった」

火をつける前の煙草を指に挟んだままの手で

メニューを彼女に向けた

 

 同世代の方々はご存じの通り

この頃の日本はまだ煙草が生活の中に

普通に溶け込んでおり

吸わない人でも副流煙や受動喫煙という概念が薄く

「嫌いな匂い」と思っても

「我慢我慢、これ普通だから」という感覚だった

 

 今思い出して驚くことは

国鉄がJRに変わったのが昭和62年

この話の翌年である

国鉄時代は通勤電車の車両の中に灰皿が

沢山備え付けてあり

結構混んだ通勤電車の中でおじさま達は

新聞を広げ普通に煙草を吸っていた

真横には通勤のOLが吊革につかまり普通に立っていた

今思い出せば、とても恐ろしい日常の画であった

 

彼は指にはさんでいた煙草にオイルライターで火をつけた

「軽く飲まない?」

「軽くね」

「梅雨時にはビールを最初に軽くね」

彼女が微笑みながら小さく頷く

 

 

 ー俺の意味不明な一言に笑ってくれた

  きっと毎週末になると

  彼の事、係長の事、考えているんだろうね

  だけどもう忘れてしまえよ

  君に絶対に気付かれないように

  週末に時々、いや頻繁に誘って

  君が彼を思いだす時間を潰していこうと決めている

  だからもう忘れて欲しい⋯⋯ー

 

 

ハイネケンを小さなビアグラス2つに注ぎ

乾杯のグラス掲げをこれまた小さくポージング

 

「そう言えばディスコでビール頼むと

 小瓶の栓を抜いてくれるだけでラッパ飲みだもんね

 ビールを小さな小瓶の口から直接ってさ

 本当に飲みにくいし、嫌いだわ〜」

「誠くん良く行くの?」

彼は彼女に極力煙がかからないように

上を向き煙草の煙を吐き出しながら

「過去、大学の頃に数回、就職してから数回

 行ったぐらいでほとんど行かない」

「すごくブームだよね」

「今凄いね、金曜日や土曜日の夜は

 ディスコの中に入れず外に人があふれてる」

「年々ディスコも派手になってるみたいだね

 お立ち台で「ほぼ裸?」って感じのボディコン着て

 羽扇子振って踊っているんだろう?

 最近の事、マスコミにワンレン、ボディコン時代なんて

 言われてるんだよね」

 

 彼女は野菜スティックの人参の先を小皿に添えてある

 マヨネーズに軽く突つきながら話を聞き笑っている

 

 この頃から、酒の肴に野菜スティックが流行した

 大根、ニンジン、きゅうりなどの野菜を

 細長くスティック状にして

 グラスに立ててあるだけの酒のおつまみ

 

「裕子ちゃんもワンレン似合っているね」

「ありがとう、でも恥ずかしいくらい

 みんな同じ髪型してるから…」

「森高千里と同じ前髪だ」

「トサカ&すだれってやつね」

「なんじゃ〜それ〜」2人とも大笑い

 

「でも女性陣みんな仕事中は後ろで束ねているよね」

「仕事中はじゃまだからね~

 みんな後ろでゴムやヘアクリップでまとめたりしてる」

「たしかに⋯⋯」

「ヘアクリップも黒や茶色系の地味な色でね」

「会社で決まっているの?」

「ううん⋯それも全て流行」

また二人は大笑い
 

「でもここら辺のオフィス街でも最近ソバージュにしている

 OL増えてきてるのよ、流行りよね〜」

「裕子ちゃんもソバージュにするの?」

「ううん、しないな、私は…」

「そこまでは乗らないんだね、今の方がいいよ」

黙って彼は彼女の顔をじっと見つめる

「今、私のソバージュ顔を勝手に想像したな〜」

またまた2人で大笑い

 

「肩ぐらいまでのボブに

 いやもっともっと

 わかめちゃんみたいな超おかっぱに

 バッサリ切ろうかな〜」

 

 ボブヘアーが流行るのはここから十数年後

 

半分程入ったビールのミニグラスを指先で

軽く揺らしながら独り言のように呟く

 

彼は黙って急造な作り笑いを彼女に向ける

 

 

 ー僕はその呟きにはあえて応えない

  まだまだ癒える事はないだろうね

  彼女の心の揺れを感じる

  だけど心が癒えた時の君を待っている

  待とうと決心している

  俺の様な馬鹿な奴もいるから⋯ー

 

 

  もう彼のことは忘れてしまえよ

  君はまだ若く その頬の涙

  乾かせる誰かがこの町のどこかで

  君のことを待ち続けている

 

 

 夏や秋も過ぎそろそろコートを出そうかと思わせる

しばらくしたら師走という深まった頃

「観たい映画があるから付き合って欲しいな」

彼女から彼にお誘いがあった

 大ヒット映画

トムクルーズの「トップガン」だ

 

 JR駅の正面口と隣接ホテルの間の大きな柱

良く待ち合わせで使うその場所から

駅前の映画館へ行き、予定通りの作品を観終わり

今は二人の行きつけの店の中にいる

 

 この店は二人が仕事帰りに最近使っている店

JR駅に隣接しているシティホテルの9階

ビュッフェがあるレストランだ

ホテルのレストランなのに、非常に安価

豪華ではないが決して安っぽくない造りで

広くゆったりとフロア全体を使用している

 

「トムクルーズって俺たちより年下なんだよね」

「そうね、確か2つ下かな」

 

トムクルーズは令和4年で還暦を迎えている

ちなみにブラッドピットは今年令和5年で還暦

 

「今日は付き合ってくれてありがとう」

「俺も観たかった作品だったからナイスタイミングだよ」

 

彼は笑いながら煙草に火を点けた

 

「年が明けたら話題の「マルサの女」

 封切になるから一緒に行かない?」

「私も観たいな、面白い映画だと話題になってるよね」

「面白そうだね」

 

 彼女は今日観た映画のパンフレットを膝の上に置き

写真を見ながらページをめくっている

そしておもむろに彼に視線を移し

「そこらの恋人たちよりも私達ってデートしてない?」

 

唐突な彼女の質問というか台詞に虚を突かれてしまい

どういう表情をして良いかとっさに分からず

彼は苦笑いをする

 

「そうか?デートは大袈裟だろう?」

 

彼の心や本音を見透かしてやろういう気持ちなのか

彼女は彼を瞬きもせずに見つめている

 

「裕子ちゃんがデートだと思ってくれてるなら

 最高にうれしいけどね」

彼は半ばおどけて笑ってみせる

「ならいいんだけど⋯⋯」

見つめていた視線を手元のグラスに落とす

 

 二人はディナー用の食事に切り替える事にした

交代でビュッフェへ食事を取りに行く

 

 ドリンクは前回来た時に「良く来るだろう」からと

少しカッコ付けて安価なボトルをキープをした

バーボンのIWハーパー

二人ともソーダ水で割りハイボールで飲む

彼女は口当たりを良くするために

トニックウオーターの小瓶を毎回注文して

少量づつハイボールに加え飲んでいる

 

 隣のテーブルに家族連れがいる

4人家族でどこかに遊びか親戚の家にでも

行ってきた帰りなのか

軽装だがアウトドア風ではない

夜の食事をここで済まそうと来たのだろう

安価なのに種類が豊富で美味で有名なビュッフェ

デザートも種類が多く人気がある

きっとお父さんが通勤族の会社員なのだろう

この店を良く知っているという感じだ

 

小学中学年のお姉ちゃんと小学低学年の弟君

そんな隣のテーブルの子供たちを

彼女は見ながら微笑んでいる

 

「わたしね⋯⋯」

しばらくして彼女が隣席の子供たちを見ながら話し始める

 

「小さな頃はアパートのような社宅に住んでいて⋯⋯

 父の勤めていた会社のね⋯⋯」

トニックウオーター入りのバーボンソーダ割を

少しづつ飲みながら彼女は話を続ける

「小学校2年の時かな

 7つ下の弟が産まれて、しばらくしてから

 すごい倍率の抽選に当たったらしく

 社宅より広い3LDKの県営住宅に引っ越ししたのね」

 

 昭和の後期になると、昔の団地風から様変わりし

エレベータ付きで大型の県営や市営の住宅が

競い合うように建てられていった

普通のマンションのように綺麗で創りも洒落ていて

一戸一戸の部屋数が多いものが主流となっていった

ただ、この平成後期や令和時代の現代と違い

この頃は入居希望家族が多く

十数倍二十数倍の確率で入居抽選が行われていた

何故か、県会議員や市会議員は枠を持っていて

政治的優遇により優先入居ができる家族もいた

 

 現在では独居老人が亡くなり

何日か何週間か経ってから発見されたり

入居希望者がほとんどなく外国人に貸し出したりしている

もちろん全てでは無いが

このような状況の県営住宅や市営住宅が

全国に多々存在している

 

「前住んでいた社宅アパートより綺麗で広くなったから

 家族みんな喜んでいてね

 私も4.5畳だけど子供部屋ができて嬉しかった」

彼も頷きながら彼女の話を聞いていた

「私たちが小学校の頃

 お誕生日会って流行ったでしょう?」

彼は昔を思い出すように微笑み

「流行ってたね~」

彼女も彼の返事に微笑み返し

「ねぇ~」

 

 彼女は少なくなった彼と自分のグラスに

アイスペールから氷キューブを数個入れ足した

ボトルを彼女が手にした時

彼は手のひらで制し、彼女からボトルを受け取り

二人のグラスにバーボンを継ぎ足した

素早くソーダ水と彼女にはトニックウオーターを注ぎ

金属製のマドラーで数回かくはんした

 

「お誕生日会って、子供達は楽しいけど

 親達は内心どう思っていたのかな~」

「結構、大変だな~とか、面倒だな~とか

 思っていたんじゃないかな?」

彼女の意見に頷く

「そうだよね、家族だけの誕生会ならともかくね⋯」

今度は彼女が微笑みながら頷く

「あの家はケーキがこうだったああだったとか

 みんなのプレゼントは高いの安いのとか

 こんな料理が出てすごく美味しかったとかね⋯」

二人は声を出して笑う

 

「私が住んでいた県営住宅の南側に

 大きな田んぼがあったんだけど

 そこを全部潰して住宅地になったのね」

 

 昭和40年代の話です

浜田省吾という架空のシンガーが歌っていたように

あの頃は山林や竹藪や農地をパワーシャベルで削り

地方自治体の事業計画として住宅地を多々確保し

やたら整列した家を建てまくっていた頃(笑)

 

 彼らは私の3学年上ですから

佐藤栄作総理の頃ですね

私が小学校高学年の時、田中角栄政権が立ち上がった

よく覚えています

オイルショックでトイレットペーパーが無かったというか

買い占められていた変な時代(笑)

 

「その住宅地に新築の家が何十戸と建ってね

 半分以上は他所から引っ越してきたのかな~」

彼の生まれ育った実家の近所も

同じ現象がおきていたから話の内容が良く理解できる

 

「順子ちゃんという同級生が

 そこの住宅地に引っ越して来たの」

「同じクラスだったからすぐ仲良くなってね」

彼女はグラスに付いた水滴を人差し指で触りながら

「順子ちゃんもそのお誕生日会のグループに入って⋯」

「順子ちゃんのお家に行って⋯⋯

 ちょっとびっくりしちゃった⋯⋯

 小さなお庭に芝生を敷き詰めてあってね

 そこに柴犬の子犬がいたの」

「へえ~そうなんだ」

「他のお友達の一軒家にも良く遊びに行ってたから

 お庭は珍しくないんだけど⋯⋯

 初めて見たからあんな組み合わせ⋯⋯

 きれいな芝生と可愛い子犬が何か現実に思えなくて

 ポ~としちゃったのね」

 

 彼女はその当時の事を思い出しているのか

焦点の合っていない視線をグラスに置いていた

彼は黙って、頷いて、微笑んで

バーボンソーダ割を飲みながら、ただ彼女の話を聞いた

 

「社宅アパートや県営住宅では庭も無いし⋯

 犬も飼えないし⋯本当に羨ましくてね⋯⋯」

「いつもなら、お父さんやお母さんに聞かれなくても

 自分の方からあれやこれや話す子供だったのに

 順子ちゃんの家の事は全く話さなかった⋯⋯」

「そうなんだ⋯⋯」

「子供心に両親に羨ましいと言っちゃあ駄目だと

 思った事を今でも覚えてる⋯⋯」

「両親に話せば優しく笑いながら

 『それは凄いね~可愛かっただろうね~』と

 言ってくれただろうし⋯⋯

 でも父も母も内心傷つくような気がしたのね」

 

 子供は丁度10才、小学校3年生や4年生くらいになると

自分以外の人の気持ちや周りが気になり始める

 

「なるほどね~」

彼は彼女に微笑みながら応える

「裕子ちゃんらしいね」

「そうかな?」

「そうだよ」

 

グラス半分ほどのソーダ割を彼女は飲み干した

彼は手慣れた手付きで二人のグラスを並べ

新しいバーボンのソーダ割を作り始めた

 

「私、その頃からの夢でね

 将来ね⋯⋯小さくてもいいから一戸建てに住んで

 小さなお庭には芝生を敷いてね⋯⋯

 夏はすぐ伸びるから綺麗に刈って

 そこで小型犬を飼うの⋯⋯

 もし子供がいたらそこで一緒に遊ぶ⋯⋯」

彼は頷きながら微笑み

 

「小さなころからの夢なんだ⋯⋯」

 

小さく頷いた彼女は微笑んだまま

話のきっかけとなった隣席の子供達に視線を移した

 

 二人とも不思議な気持ちを感じていた

別段悲しい話でも楽しい話でもないのだが

会話が続かなかった

彼もソーダ割を飲みながら彼女と同じように

隣席の子供たちに視線を移す

 

 しばらくして彼女が口を開く

「この話ね⋯⋯

 本当に誰にも言ったことが無いのね

 親は当然、弟にも友達にも⋯⋯

 誠君に初めて話したわ⋯⋯」

 

 声を出し笑いながら

「それはそれは光栄で~す」

 右手をこめかみの傍にかざして敬礼をしながら

 おどけて彼女に返した

 

 

 ー満面の笑みを俺に向け

  大きな声で笑ってくれる彼女が愛おしい

  このまま、ずっと⋯ずっと⋯

  笑ったままでいて欲しいー

 

 

                    続く