今日の全文転載記事2本はどれも文春から。今の日本を象徴している内容だ。いつぞやも記したが、そもそもこの国は遥か昔から、ありとあらゆる差別、弱い者いじめが大好きなお国柄であり国民性。政治不信、経済不安、超少子高齢化、多死社会、事故、災害の多発、事件の凶悪化と無差別化等々、人々の間からまったく心のゆとり、思い遣りが消えつつある。当然、全文転載記事のようなことが日常茶飯事の事になるわけだ。こうした情勢、状況下では、ネットは単なる憂さ晴らし、イジメ、デマ拡散、クレーマーなど、人間を攻撃的にするということを、最早否定できる者はいないだろう。疑心暗鬼も手伝って、ネットは今や相互不信社会と断言して差し支えあるまい。少なくともそれがマジョリティだ。
テイラー・スウィフト、1日1通の「音声ラブレター」で『ラヴァー』未公開歌詞を公開 https://t.co/usyzQQHJ1t #スマートニュース
— Phoenix (@tim8121) 2019年8月21日
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? Phoenix (@tim8121) 2019年7月4日
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今後、報道記事のツイートやリンクは掲載しないので、気になる方は既にご自身がしている通り、新聞、ラジオ、ネット、テレビなどでご覧になるか、私の政治関連Twitterアカウントにアクセスされたし。
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AM 10:34 2019年08月22日
1,408日連続投稿
私の場合は、人の見分けは観察と直感が全てだ。ネットもフィールドも区別していない。付き合いが長かろうが短かろうが、密度の濃淡も関係ない。どんなに長い付き合いで、密度濃く付き合った人間でも、豹変することもある。逆に昨日今日出会った人間でも、波動、波長があっていれば、長続きもする。Twitterのミュートやブロックについても、私は多用している。特に基準があるわけではないが、ブロックまでする必要はないと判断すればミュートで済ませるし、余程ウザいと思えば即ブロックだ。
ただ、ミュートもブロックも粘着系やストーク系の輩には意味がない。このことは再三述べてきているので説明を省くが、ひと手間ふた手間で済むTwitter他SNSよりも、ベビーカー問題の方が余程深刻だ。近頃は公共交通機関を利用していると、障害者の方々の車椅子やベビカー利用者が増えている。都営バスでも頻繁に、日常的に見かける光景で、私に限らず、運転手をサポートする人も増えている。赤子の鳴き声に怒鳴り声を上げるバカも見ないし、クレームするアホも見たことがない。それよりも、大荷物やリュック問題の方が余程ムカつく。
都心の繁華街の混雑時も同様で、リュックなど荷物を背負い、抱えたままスマホに見入っていたり、歩きスマホも依然として減らない。そればかりか、こういう馬鹿どもは歩いている人々を避けようともしない。近頃は女性だけを狙う「ぶつかり男」も社会問題化しているが、どれも似たようなもので大迷惑だ。私もこれまでは、極力そうした連中を避けてきたが、近頃は相手に譲る気がないと見た場合、ギリギリまで私も回避行動をしないことにしている。さすがにぶつかる寸前では、私の方で回避行動を取るが、全身からオーラを放っていると、必ず相手が避けていく。
いつからこんな世の中になったのか、定かには覚えていないが、ただ街を歩く、交通機関の乗降、ネットでの呟きや会話にも、必要以上に気を使ったり、オーラの加減をしなければならないのは、なんとも息苦しくバカバカしい。こんなことひとつとっても、この国の滅亡が近いことを感じ取れる。
アマゾンでの3日続いている山火事についても、一切の報道がない。ローラもインスタで危機感を募らせているが、海外のSNSでは著名人、有名人がツイートやインスタで生物の救済や山火事の被害拡大を止めるよう声を上げている。腐れ日本の平和ボケと情弱さが、際立っている。嫌韓を煽ること、あおり運転暴行事件には、死ぬほど時間を割き、同じことを何度も繰り返し報じるクズ・メディア。特に地上波の無能低能化にはうんざりだ。
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“極端な人たち”をミュートすべきかブロックすべきか
2019/08/22 文春オンライン
https://bunshun.jp/articles/-/13483
総選挙や地方選のときになると、街には選挙運動車があふれ出す。スピーカーでしつこいほど候補者名を連呼し、「最後の、最後のお願いです」と叫ぶ。毎回うんざりしている人は多いだろう。一部の有権者にはそれなりの効果があるから今も続いているのだろうが、名前の連呼を聞くたびに「この候補には絶対投票したくない」と思う人は少なくないはずだ。
最近は少なくなったが、右翼団体の街宣車もうるさかった。装甲車ばりの真っ黒な車で軍歌を流し、軍服みたいなのを着て大音量で威嚇する。そういえばだいぶ昔の話だが、新聞社にいたころに同僚の公安警察担当記者から「右翼が六本木の中国大使館前で、『こらーエザワー、出てこいエザワー』って叫んでたよ。警備の警察官も苦笑してた」と聞いたことがあった。1998年、当時の江沢民国家主席が来日したときの話である。
日本国内で右翼のイメージが非常に悪いのは、あの黒塗の装甲車の印象が強烈に、いまだ色濃く残っているからではないかと思う。右派は中道寄りから極右までいろんな集団や党派があるが、暴力団に近い街宣右翼のイメージに迷惑をこうむってうんざりしていた人は少なくなかっただろう。
「騒がしい街宣車」のせいで、人々の持つイメージは悪くなってしまう。そうじゃない地方政治家やそうじゃない右翼もいたはずだが、十把ひとからげで「騒々しく迷惑な人たち」とイメージされるようになってしまうのだ。
同じことはツイッターでも起きている
同じようなことが、近年のツイッターでも起きている。強い言葉を使って他者を罵る人たちがいて、そういう罵声を日々見ていると、その人たちが属している党派や集団のすべてに嫌悪感を感じるようになる。「反日けしからん」「韓国人出ていけ」と大声をあげる人たちをたくさん見ていると、右派に嫌悪感を感じるようになる。逆にいろんな人を「ネトウヨ」呼ばわりしたり、福島県民を罵ったりする人たちを見ていると、左派にうんざりしてくる。
インターネットの「エコーチェンバー効果」というのがある。エコーチェンバーは反響室のことで、同じような価値観の人たちとばかりコミュニケーションし、共感しあっていると、閉鎖的で偏った意見や価値観がどんどん仲間内で増幅してしまって、孤立した島宇宙のようになって先鋭化し、デマや罵声の温床になりやすい。
罵声や中傷が飛び交い、その人たちを嫌いになる
ネットでは「自分の見たいものしか見ない」ことができるので、エコーチェンバー効果が非常に起きやすい。これは大きな問題とされているが、じゃあエコーチェンバーの外側にいる人は、エコーチェンバーと無縁でいられるのかというと、そうではない。本物の反響室は、音漏れしないようにコンクリートなどで外壁を覆って遮音してある。だから中の音は外には聞こえてこない。でもネットのエコーチェンバーは、ツイッターのようなオープンなSNSで起きるし、たいていの利用者は鍵などかけていないので、中の声は外からも丸聞こえになっている。
そうなると、エコーチェンバー現象で先鋭化し、飛び交っている罵声や中傷が、そのグループとは無縁な外の人間にも聞こえてしまう。そういう声をさんざん聞かされると、外部の人はその人たちが嫌いになっていく。これを仮に「騒がしい街宣車効果」と呼んでみたい。内部から見たエコーチェンバー効果は、外部から見ると騒がしい街宣車効果になる。この2つは、表裏一体だ。
「騒がしい街宣車効果」を避けるためには?
この表裏一体の問題には、厄介なことがひとつある。それは、エコーチェンバー効果は自分が先鋭的なグループにはまらないようにすることで避けることができるけれども、騒がしい街宣車効果は先鋭的じゃない人にも感染してしまうということだ。先鋭的なグループの罵声を外から見てしまうことで、そのグループの持っている考え方や価値観のすべてが嫌いになってしまう。そういう危険性を秘めているのだ。
エコーチェンバー効果だけでなく、騒がしい街宣車効果も、やはり分断を加速させるので、非常によくない。では、騒がしい街宣車効果を避けるためには、どうすればいいのだろうか。
根本的な解決方法などとうてい見つからず途方にくれるけれども、私はとりあえず2つの対症療法を考えている。ひとつは、先鋭的ではない、中庸な意見をたくさん読むようにすることだ。極端に先鋭的な右ではなく、中道よりの右。極端に罵声をとばしまくる左ではなく、穏健な左派。私は両方の人たちを見つけてはツイッターの個人的なリストに入れて、毎日これらの人たちの意見を読むようにしている。たったこれだけのことでも、左右に対する忌避感はだいぶ収まるようになる。
“極端な人たち”をミュートすべきか、ブロックすべきか
もうひとつは、ある程度の棲み分けを進めてしまうことだ。つまりそういう意見は目に触れないようにすること。私はこのために極端な人たちのアカウントをミュートするようにしてきた。世界のさまざまな意見が見えなくなるのは決して良いこととは思えないが、しかし自分が騒がしい街宣車効果に感染して忌避感が高まってしまわないようにするためには、やむを得ないのではないかと思ったからだ。
しかし残念なことに、ミュートには限界がある。ミュートしてもそういう相手からはこちらのツイートが見えてしまうので、リプライで罵声や個人攻撃などが送られてくる。本人の発言はミュートしているので見えないが、それに引きずられた同じグループの先鋭的な人たちのリプライが押し寄せてくる。
これはミュートでは対処できない。私は(記憶にある限りでは)この5年ぐらい、ツイッターのブロック機能は使わないようにしてきた。さすがに互いがまったく見えないというのは、フラットな言論空間を目指す理念としてはあまりによろしくないと考えるようになったからだ。しかし大量に罵声や個人攻撃がやってくるのを見ていると、残念なことにもはやそういうことも言っていられないかなとも思うようになっている。
フラットな言論空間を優先するのか、それとも騒がしい街宣車効果の防止を優先するのか。ここは難しい問題ではあるけれども、いったんは私は後者を優先しようと思う。そしてこの記事が公開された段階で、罵声や個人攻撃の軸になっているようなアカウントをいくつかブロックする予定でいる。
エコーチェンバー効果と、騒がしい街宣車効果。SNSが普及して民意が前面に押し出てくるようになって、政治もメディアもSNSの民意に押し流されていく中で、この表裏一体の二つの問題にどう根本的に対処するかが、いま求められていると思う。これは私たちがこれからじっくりと考えていかなければいけない重要な課題だ。
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配慮してくれそうな人を選んで文句を言ってくる
2019/08/22 文春オンライン
https://bunshun.jp/articles/-/13485
拙宅山本家、4人目の子となる長女が生まれて3か月が経過しました。
男の子であれ女の子であれ、赤ちゃんはかわいいですね。
ベビーカーが高齢男性の歩行ステッキにぶつかって
ベビーカーに乗せてお出かけしても良い時期になったので、夫婦と子ども4人であちこち赴くようになるわけですが、先日電車に乗ろうとしたところ、家内が押していたベビーカーがホームで高齢男性の杖というか歩行ステッキのようなものにぶつかってしまいました。
なぜかポーンと跳ねて、ホームを転がるステッキ。高齢男性が背負っているリュックを見るに、脚が悪くて杖をついているのではなく、山かどこかのハイキングからの帰りのようで、ステッキがなくても普通に歩いています。そのときは、良かった、脚の悪い人ではなかった、という気持ちだけが見ていた私の心をよぎりました。しかし、その一瞬後。
私は長男と三男の手を引いて、家内とベビーカーとは少し離れたところを歩いていたので、高齢男性はアロハシャツを着た父親である私の存在に気づいていなかったようで、張るような大声でこう言いました。
「気を付けろ!!」
女性に対してのみ強く出るジジイ
なんだよ、ジジイ。すんげえ元気じゃねえか。これはもう、私の出番ですよね。私、出ていくタイミングですよね。山本家の威厳のために、また、日ごろ追求している正義の実現のために立ち上がるべき刻が来たのです。退屈な日常生活に張りを与えてくれてありがとう日本社会。近づいていって、こう申し上げました。
「うちの家内に何か御用ですか」
そばに父親がいるとは知らず、思わぬ方向から声をかけられ、消沈する高齢男性。消え入るような声で、「あっ、いや、大丈夫です……」といって、リュック背負ったままかがんでステッキ拾ってそそくさと階段の方向へ歩いていきました。見送る山本家。
ギスギスした日本と、赤ちゃん連れがヒーローな海外
最近、そういう育児に冷たい日本、というコラムが増えてきました。例えば、研究者の中川まろみさんはオーストラリアやアメリカなどの子育て事情と日本を比較して、どうにもやりづらい子育ての環境について論じています。
子育てがつらい国、日本。皆を苦しめるその「空気」の正体
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66404
また、経営コンサルタントの本荘修二さんは母親の立場がいまなお顧みられず、ある種の安い労働力として家事を任されている現状を憂えておられます。わかるわー。
日本の産後は異常事態 ママたちを苦しめる「暗黙の了解」
https://forbesjapan.com/articles/detail/29102
しまいには、「泣いてもいいんだよステッカー」なるものまで出てきてしまいました。赤ちゃんなんて、泣いて、育つのが仕事のようなもので、そこで「泣いてもいいんだよ」っていちいち宣言しなければならないなんて残念な気もするんですけど、そのぐらい周囲が子育てママに支援する気持ちを表明してあげないといけない世の中になったのだ、と思うと「そこまで来てしまったか」という気持ちはあります。
赤ちゃん「泣いてもいいよ」ステッカー広がる 親のマナーに苦言も
https://www.sankei.com/premium/news/190811/prm1908110011-n1.html
夏休みは、仕事や納税の都合もあり、アレルギーを持つ三男や生まれたての長女の移動に問題なさそうな場所を選んで家族旅行を組み込んだりしていたのですが、海外にちょっと行くと赤ちゃん連れはヒーローなわけですよ。
いかついイミグレの親父が私を睨みつけた後で赤ちゃんがいることを知ると「おお、赤ちゃん。ようこそアメリカへ」とかさっきまでのコワモテのひげ面はどこに消えたんだと思うようなかわいい笑顔を長女に向け、飲食店に行くとフィリピンから来たという女性店員がベビーカーの周りに集まってきて「ハーーイ、ベイビーーー」とか可愛がってくれます。何というか、日本の都市部のギスギスした雰囲気とは、明らかに赤ちゃんを取り巻く環境が根本から違う。
ロシアでも、香港でも、イスラエルでも、子育てのしやすい、しにくいというレベルとは違う意味で、なんか「赤ちゃんが歓迎されている」とか「子どもを尊重しようとしている」空気はちゃんとあるんですよね。
逆に言えば、私のようなアロハシャツを着た白髪の中年男性はどこに行ってもトルコ人に間違われ、入国審査では「なぜ中東ヅラの人間が日本のパスポートを持って我が国に?」とか問われることになりムカつくわけですが。
わざわざおっさんが文句を言いに来る
翻って、日本においても北海道やら東北北陸とか旅していると、列車や食堂で出会う見知らぬ女性が赤ちゃんを見て「かわいい」とか声をかけてくれるんです。もちろん、赤ちゃんに優しい声をかけてくれる男性もいて、ありがたいはありがたいのですが、列車の中で酒を飲まないで欲しいということ以外は、なんかこう日本も決して子どもが嫌いだというほどでもないのかなとは思うんですよね。
ただ、これが名古屋や大阪などの大きい都市に行くと、俄然ベビーカーや赤ちゃんに対する風当たりはつよくなります。
新幹線に乗り、席を対面にして疲れた子どもが靴を脱いで足を上げて寝ていると、わざわざおっさんがやってきて「子どもにそんな乗り方をさせるな。恥ずかしい」と文句を言ってくる乗客もいます。もちろん、私も「うるせえ、お前は私のおかあさんか」と応戦するわけなんですけど、これはもちろん平和を愛するがゆえにやむを得ず喧嘩をしてしまう私がそこにいるから「バーカ」「お前こそバーカ」となるものの、ここにもしも女性である家内しかいなかったら、どうだったでしょう。
自分より弱そうな人を徹底して選ぶ
通勤電車や混雑した街中で、子どもを連れているがゆえに罵声を浴びせられるケースは、私も少なくない数経験をしているのですが、おそらくそれ以上に、母親が一人で引率しているときにより危険度が高くなるように感じます。
実際、子どもを連れて外出していた家内や、学校や習い事でご一緒するママ友の皆さんから、愚痴のような経験談として「妊娠しているのに席を譲ってもらえなかった」「すれ違いざまに『うるせえ』と言われた」「主人が仕事に出ていないタイミングを見計らって、シツケがなってないと近所から怒鳴り込まれた」などの話は頻繁に聞きます。
さらには、先日習い事の帰りに一緒になった子どもたちと拙宅山本家の倅たちが公園に寄って騒いで遊んでいたら、近くに住む高齢男性3人がぞろぞろやってきて「うるせえ」と文句をつけてきたことがありました。それも、出入り口付近で子どもと遊んでいるアロハシャツを着た私にではなく、少し離れてママ友同士で話していたところへ、クレームを入れているんです。しかも、そのうちの一人は先日近所で最近連絡が取れないというので他の民生委員の人と一緒に町内会メンバーで生存確認しにいったジジイです。
なんだよてめえ元気じゃねえか。高齢男性たちの放つ声量の百倍の大声で「うるせえのはお前らだ! 真昼間の公園で静粛に遊ぶ児童だったのかお前らは! 墓前に行ってママに証言もらってこい!」と怒鳴ったところ、公園の平和は無事に守られました。
巷の騒動に関して豊富な経験を持つ私の観測で申し上げれば、クレームをつける人は、必ず自分より弱そうで、配慮してくれそうな人を選んで文句を言うことは徹底しているように思うのです。父親である私が子どもたちを率いていて、子どもたちが騒いで直接私に文句を言ってくる人はほとんどいません。新幹線内の酔っ払いが絡んでくることは多数ありましたが、相手を上回る気合と大声で対抗しながらスマホで相手の写真を撮ると、たいていしめやかにお帰りになられます。
一般論として、父親がいるとあまり文句はつけてこないけど、母親だけならガンガンに文句を垂れるのは圧倒的に中高年の男性で、一度、この辺の話は内閣府あたりでちゃんと聞き取り調査してみたらいいんじゃないかというレベルの普遍的な事項だと思うんですよね。
もちろん自分の都合で「イラッ☆」とすることもある
で、地域の住民で騒音やゴミ、植樹がらみや駐車のクレームを町内会やマンションの管理組合に定期的に入れてくる人というのは、見事なまでに独身男性か、すでにお子さんが独立した高齢夫婦あたりが定番なんですよね。なぜかはよく分かりません。
前述の「昼間の公園で子どもが遊んでいることにクレームを入れてくる高齢者」は典型例ですが、日本社会でいままである程度不文律として通用していた「おたがいさま」という感覚が消えてきてしまっているように感じます。また、都市部では特に海外や田舎にあるような「赤ちゃんはかわいい」「子どもは大事」という感性よりも「そういう存在に自分が妨害されたくない」という都市生活特有の狭量さが、弱い立場である母親に対してクレームを入れるというしょうもない行動に人を駆り立てているのかもしれません。
自分の都合で「イラッ☆」とすることもある
もちろん、私も私一人で電車で移動していて、資料を調べたり考え事をしているときに、近くで子どもが騒いでいると「イラッ☆」とするのは事実なんですよね。もしも私がまだ未婚の若いころだったり、実は結婚できなくて子どもが欲しくても子どもがいない状態だったならば、ひょっとしたら「すいません、静かにしてください」ぐらいは言うかもしれません。
でも、子ども4人いて上を下への大騒ぎな日常を送っていると、そのイラつきも「ああ。うちも長男はあのぐらいの年齢のときはもっと騒いでいたな」とか「うちも迷惑を随分かけて子育てしていたな」などと思い返して、怒りが収まるわけですよ。理性ではなく感情として、いつか来た道を思い返すと、一瞬イラついてもスッと醒める。そして「ああ、あのお母さん大変だな」と思ったりする。
しかし、飛行機のエコノミーで隣に座ったデブが大騒音でイビキかいてると「うるせえ!!」と怒って本人に文句をつけるわけでして、世の中なかなかむつかしいところであります。私もイビキがうるさいと家内に指摘されるので、常備している鼻スースーシールを一枚あげるわけですが。
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