おはようございます。
一生ものの絆づくりサポーター小宮山芽生です。
今日は、私について人柄アピール!記事書いてみます![]()
私の誕生エピソードが今やっていることと実はリンクしていた![]()
っていうことを書いてみます
12月29日
年末の忙しい日に産声を上げました
予定日は2月だったそうです。
妊娠32週、12月28日に母が家の前で転んでお尻を地面についたそうです。
転倒、それはただのきっかけにすぎなかったのだけど、
29日に陣痛が始まって夕方私は生まれました
1,400グラムという当時の医療では
生存が難しいと言われながらの誕生でした。
急遽、救急車で久留米市の新生児専門聖マリア病院に搬送、
一命を遂げる手術になりました。
母としては転倒したこと、しかも自分や祖母の血液は適合せず、
叔母たちの力を借りることになったこと。
後遺症が残るかもしれない、障害を持つかもしれない。
医師から告げられたそうです。
どれも仕方のないこと、
それでも罪悪感・後悔の気持ちでいっぱいだったそうです。
誕生後10か月間は親と離ればなれの入院生活でした。
保育器に入って懸命に呼吸をするわが子を見ながら
おっぱいが湧き出るため、搾乳をし捨ての繰り返し、
涙。涙。だったそうです。
病院に会いに行くと、
なついている看護師さんの後ろに隠れてしまうわが子。
母である自分よりも毎日お世話してくれる看護師さんを選ばれた、
という衝撃は強かったそうです。
1歳上の姉がいたことが何よりの救いだったかもしれません。
なんとか、10か月元気に育った私は自宅に戻りました。
やっと我が家に戻ったのもつかの間、
帰宅してすぐ風邪にかかり肺炎、2週間で再入院になってしまったり。
ミルクの量が決められていて、まだ欲しいと泣く娘。
毎日のように夜泣きに悩まされ、
父の職場の狭い官舎にいた母は、
父が仕事で不在の日はよく市内の実家に帰宅していたそうです。
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そして4歳の春には北海道転勤となり、一家で引っ越しとなりました。
一時は自閉症ではないかと疑われていたこともあるぐらい
言葉を話さなかったそうですが、
身体は小さいけれど目に見える後遺症・障害はなく元気に成長しました。
そんな誕生エピソードだったせいか、祖母・母からは
「あなたは人に助けられた命なんだからね」
「恩返しが必要よ」
と言われて育ちました。
そのせいもあり、
小学校の卒業文集では
「小児科の看護婦さんになりたい」と書いていました。
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