【テーマ・たいいく】


「胸をひらいて
大きく背伸びの運動~」

ちょっと違うかな?
ラジオ体操で声がけしてくれる
おじさんの言葉です


もう長い間
ラジオ体操とはご縁がありません

子どものころの夏休みと言えば
朝の公園のラジオ体操でした

学校が休みの日に
級友と顔を合わせるのは
わたしには少し気まずくて
おまけに運動音痴が服を着て
歩いていたようなわたしには

負担の大きい日課でした

顔を合わせづらいひとを避けて
わざわざ家から遠い
隣の町内会のほうまで
親に内緒で行ったりしたことも
ありましたっけ


いまでも夏休みには
子どもたちはラジオ体操の
カードをいただいておりますが
わたしの住む地域では
夏休みのなかの5日間だけ
集まりが開催されています

けれども
様々な事情もあって
これまでうちの子どもたちは
朝のラジオ体操に
参加したことがないのです

学校の体育では
準備運動には
ディズニー系の音楽に合わせた
現代風のダンスのような
運動を行っている様子で

我が家の子どもたちは
ラジオ体操を知りません


そんなことで
わたしはもう長い間
ラジオ体操にとは
ご縁がなかったのです


それなのに
聞こえてくるのです

小気味のいいピアノ伴奏と
張りのあるおじさんの掛け声

わたしは朝お布団から出たあと
睡眠に身構えて緊張したからだを
背中伸ばしをして少しだけ
ほぐすようにしています

数日前から
どこからともなく
おじさんの掛け声が
聞こえてきたような
気がしたので

背中伸ばしに加えて
大きく胸をひらく運動を
してみました

浅い呼吸で縮んだ肺が
筋肉に引っ張られて
広がるのがわかります

そうすると
人間の身体は
自然に息を大きく吸うよう
できているのですね


いつも縮こまって
体内に閉じ込めていたものを
外気にさらしたような
ちょっと恥ずかしいような
ちょっと心許ないような

不思議な気持ちになりました


外科手術で
開胸して心臓をあらわにすることを
胸をひらくとか言いますね

こころをあらわに
胸を大きくひらいて

今日も一日
生存しようと思いました






【テーマ・どうとく】


人間ひと皮剥けばみな同じ骨だ

とかいいながら
わたしたちはそれぞれが
別々の生き物だと知っていて
それを大前提に生きています

ほんとうはその前に
もっと大きな大前提があって

人類みな兄弟

とかいいながら
わたしたちはそれぞれが
別々の生き物だということに
まるで大前提の大前提を
否定するかの如くの勢いで

個人のいのちに執着します

それはごく自然なことで
目をつり上げて批判するような
ことではないと思います

最近ある映画で
「死ぬことは生きることの一部だ」
という言葉に触れましたが

その言葉に心底共感するには
まずはその言葉に反発を覚える
自分を自覚しなければならず

つまりその言葉に感銘を受けるならば
その表面的な感慨は
わたしのなかにその言葉とは相反する
考えが存在することの証だと
まずは理解しなければなりません

自分をはじめ
身近な肉親や親しいひとの
いのちに執着していることを

言葉の響きに任せて
否定否認していたのでは
言葉の真意は永遠に
わたしの周りを空回りするだけです

さわり心地のよい名言ほど
時に辛辣な戒めのように
こころにチクリと突き刺さねば

本当の共感とはいえない
そう思います



人間ひと皮剥けばみな同じ骨だ
ということは
どの人間もそのひとを作っている肉を削げば
みんな同じところにつながることを
率直に表した言葉だと思います

しかしながら
わたしはいつのまにか
その言葉をさらに余計な肉をつけ
「四の五の言っても
所詮みんな同じ屍に
なるだけじゃねぇか」
というような
投げやりでニヒルな遣い方を
していました

人間いつかは死ぬもんだと
言葉の上では真っ直ぐに表していても
その実本当に含ませた真意は

死ぬことの恐怖と
死があると知りつつ生きることの
不安に満ち溢れていて

本来の言葉の意味を無視し
むしろ本音を麻痺させるための麻酔として
乱暴な理解を無理強いしていたのです

どうせ死ぬんだから
いまを楽しく生きようや、と
前向きな姿勢を誇示しながら

偉そうな自前のポリシーを顕示しながら

言葉の威圧に身を任せて
当たり前の本心を踏み潰して来たのです

当たり前の本心
それは
死ぬのはいやだということ

死はかなしく
死はつらく
死は例えようもないほど
こわいということ


死を身近に感じながら
なお生き続けるのは
例えようもないほど
不安だということ



いつのまにか
その気持ちに目をつぶるように
なってしまうその前は
どう感じていたのか

わさわざ生きた肉を
空想のなかでひん剥いて
自分のバラバラになった骨のやまを
想像することを生きる原動力にする前は
わたしは死をどう感じていたのか

それはいま
幸いなことに
子どもたちが
教えてくれています

今泣いたカラスがもう笑う
喜怒哀楽の解離した子どもたち

彼らの表す言葉は
あまりにも純粋で
ときにそれを
幼さを言い訳に
受け取りを拒否したくなるほど

的確で精密で

こころにチクリと突き刺ささります

「死んだって言わないで
お空をとんだって言って」

「死って漢字がこわい」

それはわたしが
おいそれとは言えなくなってしまった
いまも自分が感じている同じ恐怖を

真っ直ぐにとらえ
真っ直ぐに受け止め
真っ直ぐに表した

真っ直ぐな言葉でした

いつのころだったか
わたしもきっと
同じ言葉を思っていた

死ぬと言えず
そらを飛ばした

死んだと思えず
そらを飛ばした

その表現は知らず知らず
死の概念を個人の執着から引き剥がし
いずれは失われる自分のいのちからも遠ざかり

喪失を抱えることの
当たり前さを
真っ直ぐに見つめられる
可能性がいまもあることを

ぼんやりと教えてくれます

ぼんやりと
やんわりと
ふんわりと

頭でっかちな言葉では
とうてい表すことのできない
混沌とした納得であり

こうして言葉で説明しようと
していることがもうそもそも
矛盾した無謀な試みであって

記事をアップするのが
ためらわれるのですが

そのためらいこそ
真っ直ぐに気持ちを見つめることの
障害であるのだと思い知ります



「お空をとんだのよ
お星さまになったのよ」

一見すると
衝撃の直撃を避けた
稚拙な婉曲に思えても

それは
どうせいつかは死ぬんだと
開き直るよりよほど

素直なこころだと

あらためて反省をしています









【テーマ・おんがく】


ほんとうに少し前までは
日常生活のなかに
わずかでも気がかりなことがあれば
ピアノのことに時間や気力を
割くことは罪悪に感じていました

いま抱えている問題が
雪だるま式に悪化していく
可能性を孕みしかも
悪化の兆候が見えている脇で

自分の好きなことに
注意を向けることは
あとあと事態が悪くなったとき
必ず後悔につながると
恐れていたのです

けれども
たとえば3日ピアノを弾かずにおけば
指は鈍くもつれるようになり
取り戻すのに3日以上かかりますから

毎日30分でもいいから
練習に向き合うことが必要です


その30分のあいだだけ
気を迷わせる考え事から
離脱して集中することが
できればよいのです

その30分が終わったら
またモヤモヤした
まんじりとしない生活に
たとえ戻るのだとしても

それはそれでよいのです

ほんとうに最近になって
ようやくわかってきたのです

これを息抜きと
いってもよいのでしょうね


いま練習しているのは
バッハのインベンションと

ある小曲です

長い間弾かずにいるあいだに
ずいぶんと指は弱りました

和音の打鍵がバラバラで
きれいな音が出ないのです
そこで和音の練習になるように
バッハの二声とは対照的な
情熱的な旋律を和音でうたう
曲を選んでみました

恥ずかしいので
何の曲かは内緒ですが

気がつくとその曲は
ハ短調でした

わたしは
二長調と変ロ長調が好きだったのですが
この頃は
無意識にハ短調の曲を選ぶ傾向が
どうもあるようなのです

思えばわたしが
ピアノを一度やめるとき
最後に取り組んでいたソナタ

ハ短調でした

自分の出す和音の音の汚さに
失望して訓練を始めたのも
ベートーベンを弾こうには
和音がちゃんと打鍵できなきゃ
どうしようもないと
個人的に思い込んでいるからでした

わたしはやはり
いつかはあの曲を

あの日あきらめたあの曲を
いつかは弾きたいと
望んでいるのだなって
あらためて思いました


ハ短調

破綻調

いいえ
もうなにも
破綻などしません