【テーマ・さんすう…など】


しばらく記事を書かないあいだ
事実、自分の言葉で何かを
表現するという行為からも
遠く離れて過ごしていました。

食べたもの
(正確には料理して食べてもらったもの)
のメモ書きを続けておりますが
そこにちょくちょく
日記まがいの感想を書き付けるくらいで

じっくり言葉を使って
考えて書くということから
少しばかり逃げておりました。

何故だったのかな。


その理由すら
考えて絞り出した言葉では
どうもしっくり表せない。

ぼんやりと浮かんでは消える
像のようなものでしかありません。


けれど。


記事を更新すると
読んでくださる方がいる

というのが

うれしい。

この気持ちもまた
浮かんでは消える像のようなものだけど
捏ねくりまわして手垢(脳垢?)だらけの
言い回しはもう要らない。

もっとも像に近い言葉は
ただのひとこと。


ありがとう






ところで
わたしの超スローペースの
さんすうのおさらいですが

いろいろやってるうちに
欲が出てきてしまいまして

高校生の時に投げ出した
高等数学をもう一度
やり直したいと思うに至りました。

数式や図形に触れていると
ぼんやりと浮かんでは消える
例の像のようなものが
頻繁に現れるのですが

ごくごくたまーに
その像からインスピレーションを得て
言葉の表現に繋がるときがあります。

これまでも時折
そうしたものが浮かんだときには
ブログに書いたりしてきたのですから

ネット社会に対しいろいろと
思うところはあるけれども

また書いていこうかな
と思っています。



数学や物理にあらためて触れてみると
これまでの経験で集めてしまったモヤモヤが
ふと整理されて腑におちる瞬間があります。

なんというか
公式や定理や
観測から導かれた理論が

おそらくはそれらが示すものとは別に
わたし個人の経験を整理する道標になり

ひととして抱えた問題を
経験で解いていくというような

かつて子どものころに行っていた学習とは
ベクトルが逆になっているような勉強で
ちょっとヘンテコな感覚です。

でもそれが面白くて
でもそれが心地よい。


勉強は果てしなく続きますね。

うちの子どもたちに言ったら
きっとイヤがられるでしょうけれど(笑)










【テーマ・ひるやすみ】


ここ数年は
遠巻きに眺めるだけだった桜を
今年はこの連休に
久しぶりに間近でみました。



なんだか
少しだけ緊張していて
「お邪魔します」と
こころのなかで呟きました。

例年

今年もさくらが見られた、と
喜んでおりましたが

今年

やっとさくらに会えました。






【テーマ・ひるやすみ】


出会いと別れが
際立って胸に響く季節になりました。

春ですね。

窓の外には
こんもり積もった雪山が

空の上には
泣き出しそうな雪雲が

それでも
季節は春ですね。

つくづく季節というものは
暦で計りこころで感じるものなのだと
3月にはいつも思います。






友よ
わたしはあなたと別れるのではない

あなたと同じときを分かち合う
わたし自身と別れるのだ


友よ
わたしたちは道をたがうのではない

もともと別の道を歩む者同士
いま一度互いの道を確かめ合うのだ


友よ
いつかまた相見えるときがきたら

出会いの意味など忘れてしまおう
別れなどあり得ないと笑い飛ばそう







ひととひととの
出会いというものは必然ですが

別れは必ずしも必然ではありません。

別れというものは
次に会う約束がないから別れなのではなく
自らが別離を決断するから別れなのです。

自分自身が別離や忘却を決意しない限り
死んだ人とさえ別れることなど
できません。

逆をいえば
死ですらひととひととを
別れに至らせる決定的な条件では
ないのです。

そして

別離や忘却というのも実は
自分の意思でどうかできるものでもない。

別れたつもり
忘れたつもり

けれどもその過去なくては
ありえない自分がいま、ここにいる。



友よ
わたしはあなたを、忘れない

ならば
別れなどという言葉に
いったいどんな意味があるのか



3月という季節に寄せて
こんなことをかんがえています。