【テーマ・そうさく】


ぼくがいつも決まって
その同じ椅子に座るわけを
あるいは店主は
知っていたのかもしれない。

ぼくがとりわけ
混雑を避けて店に来るのは
その椅子に座るためだということも
おそらく店主は
知っていたのかもしれない。

なぜなら店主だけが
ぼくがいつも独りであることを
知っていたからだ。


その日もぼくは
独りでその椅子に腰を掛けた。

三坪程度の狭い空間を
一枚板のカウンターが横切り
ずらりと並んだ椅子は
ざっと見た限りで十席ほどだが

正確に数えたことなど一度もない。

ぼくにとって必要なのは
入口側から数えて二席で
それ以上店の奥側に
いくつ椅子が並んでいようと

それはぼくには無関係の世界だった。


ぼくはいつも決まって
左から数えて二番目の椅子に座る。

だけどそこはぼくだけの席ではない。

当然先客がそこに座っていることもある。
または二番目が空席でも
一番左に先客がいることだってある。

そんなときぼくは
決まり悪くても店主に悪くて
仕方なく店の奥の空間に踏み込むのだが
一杯飲んだら帰ることにしている。

店主の腕前は確かだし
舌に馴染んだ銘柄に違いないが

席が変わるとぼくは
味覚まで変わってしまうようで
酒の味がわからなくなる。


その日は幸運にも
入口付近は空いていた。

確かにこのくらい狭い店なら
先客は奥から席を詰めるのが礼儀といえる。

店主ははなから
「奥へどうぞ」だなんて
慇懃な誘導はしないのだが

だからといってぼくが
いきなり入口を塞ぐことにも
特別口を出したりしない。

誰を待つ身でもないと知ってからも
ぼくが必ず左の席を空けることにも

店主は黙っていてくれる。


だからぼくは
いつも決まって
その同じ椅子に座る。

だからぼくは
その日も決まった
その同じ椅子に腰を掛けた。

けれどもその日は
なんだかいつもと違っていた。

ほんの一瞬
そこがどこかいつもとは
全く違う場所であるような

というよりはむしろ

ほんの一瞬
どこか別の場所に瞬間移動したような

なんだかおかしな気分がした。

そんなぼくに
店主がいつものように
紙ナフキンと硝子の灰皿を
差し出してくれたときには

もうぼくはいつもの決まった
その同じ椅子に深く腰を
掛け直していたのだが。


ぼくは気を取り直し
あたかも誰かと
待ち合わせをしているような
不必要なカモフラージュを

誰にともなく発しながら

無口な店主の真向かいで
今日一日の出来事を
ただ独りで振り返り始めていた。













【テーマ・かていか】


花は好きですが
切り花は好きではありませんでした。


両の手に抱えきれないほど
たくさんの花束をいただいたのは
高校の卒業式でした。

帰宅したわたしの姿に
驚いた母が家中から
ありったけの花瓶を探し出し

窓辺に飾ってくれました。

花束は想いでした。
義理や慣習が混じっていたとしても
文字通りわたしには
抱えきれない幾多のひとの
想いの咲かせた花でした。

花は日に日に
萎れて枯れてゆきました。

宿り先を失いひとびとの想いは
わたしのなかに重く残りました。

いともはかなく花びらは
わたしの前から姿を消そうと
日に日に萎れて枯れていったのです。

花は好きですが
切り花は好きではありませんでした。






職場の近くに
かわいいお花屋さんがありました。

季節のお花を小分けにして
ひと束100円から200円くらいで
売られています。


切り花は好きではなかったのに
ついつい買ってしまうのです。

「秋のお花と一緒にどうぞ。」

そろそろコートを纏ったわたしは
今日のこの秋晴れの金曜日
ひまわりを連れて帰ってきました。

花を飾ると
娘が喜びます。

この春から彼女は
押し花に凝っていて
先日ようやく仕上がった
押し花で栞をこしらえてくれました。

わたしはあのあさがおならば
写真に撮って平気なのに

切られたひまわりの写真は
加工しなければ載せられない。

わたしの臆病の表れでしょう。




わたしの家に花。

ここにも変化が訪れています。





【テーマ・きゅうしょく】


♪ぷ~ ふ~

わたしのなかに
鳴り続けるラッパの音があります。

2年ほど前に
突然にわたしのなかによみがえった
子どものころの思い出です。

軽トラックで町内をゆっくりと走りながら
豆腐を売ってくれるお豆腐屋さんでした。

軽トラックに積まれたスピーカーからは
「♪ぷ~ふ~」という昔ながらの
豆腐屋さんのラッパの音が
テープだったのでしょうが
エンドレスで流されていました。

週に三回くらい
決まった曜日の決まった時間に
やってくるその豆腐屋さんから
母はときどき豆腐を買っていました。

食事嫌いのわたしには
豆腐のお味の記憶は稀薄でしたが
ぷ~ふ~というラッパの響きだけが
しっかりと記憶されていたようでした。

2年ほど前
やたらと頭のなかに
その音が響き渡り

理由もわからぬまま
当時のブログにも
豆腐屋さんのことを
書いたりしたことを
覚えています。

なぜ豆腐屋さんのラッパなのか。
その記憶の断片に
どんな意味があったのか。

それは子ども時代を切り離し
自分勝手にはぐれてしまったわたしが
もとのわたしと出会うための

取り返しのつかない間違いに
気づいてしまった驚愕を
柔らかく受けとめ許すための

みちしるべでした。





わたしの住まいのすぐ近くに
小さな豆腐屋さんがあります。

何年か前に娘が学校の社会の授業で
校区内を探検したときに
娘が豆腐屋さんを見学したことを
嬉しそうに話していました。

その豆腐屋さんの作った豆腐は
よく行く近所のスーパーでも
ちゃんと売られていました。

けれどもわたしは
その豆腐を見つけてはしゃぐ娘をよそに
値段が少し高いからという理由で
一度も購入したことはありませんでした。

買うのはいつも
安売りで50円くらいのものでした。

それを買っては
子どもたちに食べさせていました。

あの豆腐屋さんのラッパが聴こえてからも
わたしは安いものを買い続け
子どもたちに食べさせてきました。

なぜあのラッパが聴こえるのか
その理由をきちんと考えようともせず
わたしは家計のためと思って
安価な豆腐を子どもたちに食べさせて

そのくせ自分は
まともに食べずに過ごしました。

調理のたびに
パッケージの蓋をはがしていたのに
そこに表示してある原材料に
少しも注意を払いませんでした。

ある日ふとしたきっかけで
ゴミと化したパッケージの
蓋の部分に目をおとしたとき

豆腐用膨張剤とか
消泡剤とか
化学の教科書でみたことのある
元素記号が
書かれていることに気づいたとき

わたしのアタマは
豆腐のように真っ白になりました。


豆腐は
大豆とにがりでつくるもの。
そう思っていました。

けれどもわたしが
子どもたちに食べさせていたのは

豆腐ではなかったんです。

そのくせ自分は
食に関心がないのをいいことに
それを食べずに済ませていたんです。

どうしようもないほど
ショックで打ちのめされました。

どうしようもないほど
自分を責めて子どもに詫びました。

生きているのが
恥ずかしいほどに
落ち込みました。





豆腐にはじまり
恐ろしい気づきは
芋づる式にやってきました。

明らかにインスタントな加工食品なら
さまざまな添加物が入っているのは
なんとなく覚悟していたけれど

豆腐と思っていたものは豆腐ではなく
醤油と思っていたものは醤油ではなく

病的なまでに神経過敏になったわたしには
身の回りすべてのものが
化学物質に思えてしまいました。

買い物に行っても
何を買ったらいいのか
わからなくなったり

子どもたちに
何を食べさせたらいいのか
わからなくなりました。

とてもつらかったです。





手始めに一年ほど前から
「ほんだし」を止めて
かつおと昆布で出汁をとるようにしました。

それが精一杯でした。

けれどもあれから少しずつ
出来ることをしてみるようになりました。

加工品や食品添加物から
完全に逃れることは難しい。

けれども
出来ることだけを少しだけ
やっていくのは難しくない。

そしてそれは
決して無駄な努力ではない。





近所の豆腐屋さんのお豆腐は
懐かしい味がしました。

それはむかし
ぷーふーとラッパを響かせながら
やってくる豆腐屋さんから
母が買ってくれた豆腐の味でした。

わたしはちゃんと
豆腐の味を覚えていました。

わたしも子どもたちと一緒に
豆腐を食べるようになりました。


♪ぷ~ふ~
不意によみがえったその音は

はぐれたわたしを呼び戻し
わたしを生かしておくために
幼いわたしにあらかじめ刻まれた

みちしるべだったのだと
いまはそう思っています。