【テーマ・どうとく】


時の流れを不可逆にしているのは
わたし自身の意思であると思う。

ときおり時間の流れはよく
川の流れに喩えられたりするけれど

わたしたちの思う「もしも」の世界を
すべて許してしまうならば
その川幅は無尽蔵に膨れ上がり
もはや川とは呼べぬものになってしまう。

もしもあのときこうしていたら。
もしもあのときそうしていたら。

行いうるすべての選択を
かの流れに乗せてしまえば
隣り合う別世界の流れさえも
無秩序に呑み込み巻き込んで

時は止まってしまうだろう。


もしも幼いあのころに
戻って何かを選び直すとしても

もしも思春期のあのころに
戻って何かを選び直すとしても

わたしたちは誰もがみな
同じ選択をするに違いない。

いまの自分の存在を
危ぶませるような選択を
誰にもできるはずはない。

その選択を可能にしたら
選ぶ自分もいなくなる。




過去の選択をいまどんなに
悔やんで苦しんでいるとしても

未来のわたしはこの選択肢を
選ぶべくして選ぶだろう。

過去の事象にいまどんなに
傷つき嘆いているのだとしても

未来は必ずその事象を
起こるがままに起こすだろう。



便宜上それを過去と呼び
便宜上それを未来と呼ぶ。

けれども流れがあるかぎり
見渡すかぎり、いまなんだ。



「もしも」の流れもどこかにある。

「いま」がここに流れるかぎり
決して交わることはないけれど。












【テーマ・かていか】


なにも手につかないと言って
うなだれることは簡単でしたが
何気なく放り出されていた
編みかけのストールに手を伸ばしました。

どうにもならないときは
単純作業がなによりです。

ふさわしい季節を通り越し
季節外れのストールは
今日、完成しました。



ときに天女は
何故はごろもを脱いだのか。

出来上がったストールを肩にかけたとき
幼いころ持っていた絵本の挿し絵が
ふわりと浮かび上がりました。

気になって少しだけ調べてみると
天女が羽衣を脱ぐことにも
水浴びをすることにも
深い意味があるようです。

羽衣を奪った人間の男は
天女に羽衣を返すのをしぶります。

羽衣伝説にはさまざまな
バリエーションがあるようですが
わたしの持っていた絵本では
天女は男の妻になりました。

子まで設けておきながら
ある日天女は子どもの歌う童歌で
羽衣の在りかをつきとめます。

そして天女は天にかえってゆきました。

月にかえるというお話もあるようです。
男が天女を追っていく話や
七夕伝説に繋がる話もあるみたいです。

お能では
男たちは天女を妻にめしとらず
躍りを踊ってもらったあと
天女に羽衣をかえすそうです。

いずれにしても
天女は天にかえってゆきます。

どんなに未練があったとしても
どんなに所縁があったとしても

天女は天にかえってゆきます。



誰がくれたか
「はごろも」という絵本。

ふと不用意に唐突に
よみがえる思い出には

なす術もありません。

涙がでそうになりました。







邪心のこもったストールは
ズシリと肩にのしかかり
とてもはごろもには
似ても似つかぬ俗物だけど

今日、すっかり編みあがりました。








【テーマ・こくご】


どうしてだろう
涙がこぼれるよ

きっとどこかで
きみが泣いているんだろう


どうしてだろう
瞼が閉じるよ

きっとどこかで
きみが眠っているんだろう


ぼくらはいつも
同じものを見つめていても

ぼくらは決して
互いの姿を見つめられない

ぼくらは瞳の右と左
たいせつなあのひとの
ふたつ並んだ右目と左目


ぼくの世界にきみはいなくて
きみの世界にぼくはいない

けれどもぼくらが
同じものを見つめたとき

もうひとつの世界が
生まれてくるよ
ぼくらの見ている世界だよ

たいせつなあのひとの
いま生きている世界だよ