【テーマ・おんがく】
音楽を聴く楽しみかたも
ネットの普及で変わりました。
こうしてブログを書いたり
調べものや読書の殆どを
ネットに頼っておきながら
実はわたしはネットには
たいへんなおよび腰です。
いつもビクビクしながら
読んだり書いたりしています。
でも、ネットのおかげで
かつては考えもつかなかった
様々なことを知ったり
試したりすることができるように
なったことは事実で
音楽鑑賞も例外ではありません。
子供のころ家にあった
一枚のLP、それだけを
何度も何度も繰返し聴きました。
エルガーの威風堂々も
ショパンのエチュードも
白鳥の湖の情景も
わたしにとっては
そのレコードに収録された演奏が
唯一絶対でありすべてでした。
そのオーケストラの
そのピアニストの
そのマエストロの演奏が
好き嫌いの判断さえ無自覚のうちに
わたしのなかに確固たる基準を
作り上げてしまっていました。
ほかの演奏者の演奏に触れようと
考え及んだとしても
高価なレコードを買うことも
コンサートに足を運ぶことも
なかなか難しいことでした。
テレビやラジオの番組を
自力で探して見聞きするための努力も
その時分の歳のわたしには
考えつくようなところにはありませんでした。
けれどもいまでは
CD一枚ぶんにも満たない代償で
膨大な音楽を自由に聴くことができます。
様々な時代の
様々な演奏家による
様々な演奏を
ネットのちからで聴くことができる。
同じピアニストの演奏でも
若いころと壮年のころでは
まったく違うことに気がついたり
同じ作曲家の楽曲でも
演奏家のお国が違えば
味わいも違うことに気がついたり
そうやって様々なことに
気がつくことによって
無自覚だった自分のなかの
基準というものがハッキリして
しかも次の瞬間には
さらさらと砕けて消えてゆく。
井の中の蛙が大海に出でて
はじめて蛙であることを知り
同時にそれがどうとでもないことに
変わってゆくのと似ています。
気づきというものは
必ずしも自分にとって
プラスになるものではなく
むしろそれまでの自分を
小さくてつまらないものに
見せてしまう副作用があります。
新しく得た気づきの高揚感に傾倒して
副作用に目をつぶれば
いつか自分が蛙であることを
不憫に思う日が来ます。
一枚のレコードを
何度も何度も繰り返し聴いた
その経験を大事に思えない日が来ます。
荘厳な音楽や
圧倒的な情報を前に
わたしは間違いなくちっぽけです。
けれども
目の前にひらけた
新しく素晴らしい世界に
どんなにこころ躍り興奮に見舞われても
自分の存在を軽んじてはいけません。
そのことがたとえ
一時的に自信を削ぎ
気後れしたり
自己卑下につながるとしても
大海を知り我が物顔で
高揚感に酔いしれるよりは
よほどいいです。
音楽に浸りながら
みみに深く刻み込まれた
あのレコードの演奏を思いだし
そんなことを
考えていました。
音楽を聴く楽しみかたも
ネットの普及で変わりました。
こうしてブログを書いたり
調べものや読書の殆どを
ネットに頼っておきながら
実はわたしはネットには
たいへんなおよび腰です。
いつもビクビクしながら
読んだり書いたりしています。
でも、ネットのおかげで
かつては考えもつかなかった
様々なことを知ったり
試したりすることができるように
なったことは事実で
音楽鑑賞も例外ではありません。
子供のころ家にあった
一枚のLP、それだけを
何度も何度も繰返し聴きました。
エルガーの威風堂々も
ショパンのエチュードも
白鳥の湖の情景も
わたしにとっては
そのレコードに収録された演奏が
唯一絶対でありすべてでした。
そのオーケストラの
そのピアニストの
そのマエストロの演奏が
好き嫌いの判断さえ無自覚のうちに
わたしのなかに確固たる基準を
作り上げてしまっていました。
ほかの演奏者の演奏に触れようと
考え及んだとしても
高価なレコードを買うことも
コンサートに足を運ぶことも
なかなか難しいことでした。
テレビやラジオの番組を
自力で探して見聞きするための努力も
その時分の歳のわたしには
考えつくようなところにはありませんでした。
けれどもいまでは
CD一枚ぶんにも満たない代償で
膨大な音楽を自由に聴くことができます。
様々な時代の
様々な演奏家による
様々な演奏を
ネットのちからで聴くことができる。
同じピアニストの演奏でも
若いころと壮年のころでは
まったく違うことに気がついたり
同じ作曲家の楽曲でも
演奏家のお国が違えば
味わいも違うことに気がついたり
そうやって様々なことに
気がつくことによって
無自覚だった自分のなかの
基準というものがハッキリして
しかも次の瞬間には
さらさらと砕けて消えてゆく。
井の中の蛙が大海に出でて
はじめて蛙であることを知り
同時にそれがどうとでもないことに
変わってゆくのと似ています。
気づきというものは
必ずしも自分にとって
プラスになるものではなく
むしろそれまでの自分を
小さくてつまらないものに
見せてしまう副作用があります。
新しく得た気づきの高揚感に傾倒して
副作用に目をつぶれば
いつか自分が蛙であることを
不憫に思う日が来ます。
一枚のレコードを
何度も何度も繰り返し聴いた
その経験を大事に思えない日が来ます。
荘厳な音楽や
圧倒的な情報を前に
わたしは間違いなくちっぽけです。
けれども
目の前にひらけた
新しく素晴らしい世界に
どんなにこころ躍り興奮に見舞われても
自分の存在を軽んじてはいけません。
そのことがたとえ
一時的に自信を削ぎ
気後れしたり
自己卑下につながるとしても
大海を知り我が物顔で
高揚感に酔いしれるよりは
よほどいいです。
音楽に浸りながら
みみに深く刻み込まれた
あのレコードの演奏を思いだし
そんなことを
考えていました。