【テーマ・そうさく】
2
コツコツという耳に馴染まない
どちらかというと不愉快な音で
ぼくはハッと我にかえった。
振り向くとそこには
見覚えのない男の姿がある。
彼はノミのような道具を使って
壁を丹念に調べるようにしながら
時々力を込めて壁を叩いている。
この男、いつからここにいたのだろう。
いや、ぼくこそ、
いつの間にこんなところに迷い込んだのか。
男が壁を叩く音に気づく前まで
ぼくはどこにいたのか
さっぱり思い出せない。
突然の出来事に遭遇した直後のほうが
状況を見回す時間を与えられた後より
よほど冷静でいられるようだ。
ぼくはコツコツという音を聞いたときより
その音がどこからどうして聞こえたかを
知ったあとのほうがずっと
平常心を失って明らかに狼狽えていたと思う。
自分が狼狽えていることに
ぼくが気づくやいなや
そのタイミングを見計らったように
男はぼくをその視線にとらえた。
ぼくと男の目が合った。
ぼくは、男と目を合わせているにも関わらず
男にはぼくの姿は見えていないように感じた。
正確にはそう思いたかった。
直感というのはいつも
ぼくの身勝手な思惑を隠しながら
ぼくにとって都合のいいことだけを
意識に残して去っていく。
そしてたいがい
それは事実とは異なっていることが多い。
案の定、ぼくの直感は間違っていた。
「出口を探している。」
男は乱暴にそう言って
ぼくはその言葉がぼくに向かって
投げつけられたのだと理解する。
つまり男にはぼくが見えている。
男の言ったせりふが意味することより
ぼくはぼくの直感が間違っていたことに
気を取られてしまっていた。
だから男のせりふと
男の壁を叩く仕草の間に
何の関係も見出だせないまま
反射的に男の言葉を
弾き返すようにオウム返しにした。
出口を探しているんですか?
ぼくの声はこの男に
ちゃんと聞こえるんだろうか。
ぼくが疑問に思ったのとほぼ同時に
男の答えが返ってきた。
「そうだ、出口を探している。」
二度も同じことを言われて初めて
ぼくはぼくの目にした男の行動と
ぼくの聞いた男のせりふとの間に
繋がりを持たせることができた。
彼は出口を探して壁を叩いている。
つまりここには
出口がないか
あるいは出口はあるが
まだ見つかっていないのだ。
そしてぼくも
ここからの出口を知らず
出口があるのかどうかも
まだ知らないでいるのだ。
その気づきはぼくを一気に
不安と恐怖の中に突き落とした。
待て。
入ってきたのだから
出られるはずだ。
むやみに恐れるべきではない。
けれど、どこから入った?
その答えに気がつくのを
避けるようにしてぼくは声を放った。
出口が見つからないのですか?
あなたはどこから入ってきたんです?
男は手にした道具を壁にこすりつけ
ガリガリとイヤな音をたてながら言った。
「お前はどこから入ってきたんだ。」
その質問に答えるためには
ぼくは彼へ質問することでやっと避けた
その答えをぼくの言葉で返さなければならなかった。
わかりません。
気がついたらここにいたんです。
ぼくの答えた言葉は
ぼくを正真正銘不安にさせたはずだが
ぼくの態度は逆に悠然となって
恐怖や不安をこの男に覚られまいと
ぼくのひとまわり外側に
もう一枚のぼくを羽織ったような気がした。
ぼくは突然雄弁になる。
あなたもどこから入ったか
覚えていないんですね。
ここはどこなんです?
あなたはいつからここにいるんですか?
出口を探しているって
ここは迷路なんですか?
ぼくらは迷っているんでしょうか。
「さあな。」
ぼくの言葉に対して
彼の反応はあまりにも淡白だった。
それはぼくをガッカリさせるどころか
この不可解な状況下にありながら
ぼくを憤慨させるくらいの素っ気なさだった。
けれどもぼくは
ぼくの外側に一枚羽織ったぼくのおかげで
不可解な状況を分析するのが先決だと判断する。
おかしなところに来てしまった。
一刻も早くここから脱出しなくてはならない。
そのためには情報が必要だけれども
目の前のこの男に情報を期待したり
まして協力を願い出たりするのは
あまり得策ではないように思われる。
男が手にしているノミのような道具を見て
ぼくは何も持っていないことに気がついた。
鞄も持っていなければ
時計も身に付けていない。
いつもポケットに入れているはずの
鍵の束も携帯電話もない。
コツコツという音に気づく前までの
記憶を失っていることに危うく気づきそうなり
ぼくは迂闊にも手ぶらで出掛けた自分を責める。
手ぶらで出掛ける、そんなことが
ぼくに起こり得ないことを知りながらも。
その時、男が突然声を発した。
「扉だ。」
男の指差す方を見ると
頑丈そうなたたずまいの扉が
堂々と壁にはまりこんでいた。
開けてみるまでもなく
重い扉であろうことはわかったし
だいいちノブの辺りが錆び付いていた。
扉を指差してそれを扉だと言う男の態度は
ぼくがその扉を開けるのに手を貸すのが
当然だという結論を示していた。
なのにぼくは
わざわざ男に余計な確認を行う。
扉ですね。
押してみましょうか。
でも簡単には開きそうもないですよ。
ずいぶんと錆び付いてしまっている。
すると男は意外なことを言った。
「錆はお前の都合だ。
俺には関係ない。」
どういう意味だろうか。
この男は屈強だから多少の錆び付きなど
力任せでどうにでもなると言いたかったのか。
それともこの錆がこの男には見えないのか。
まさか。
ぼくはぼくの外側に羽織ったぼくの内側で
怪訝に思いながらも
扉を開けるために扉に近づいた。
男も近づいてくる。
その時、男の手にしていた道具が
思っていたよりも鋭利なことに気づき
不可解な状況下において
男の発した不可解な言葉が
ぼんやりとした、それでいて明確な
恐怖に変わるのを感じた。
まさか。
ぼくの外側に羽織ったもう一枚のぼくは
ぼくよりも勇敢なのか鈍感なのか
どちらにせよぼくは
男と共に扉を力一杯押し始めた。
ぼくの都合の錆がギリギリとイヤな音をたて
ズルズルと滑って後退する両足を踏ん張り
少しずつ少しずつ扉は開いていった。
ぼくはこの扉が出口だろうと
思いたかったに違いないのに
この扉が出口ではなかった場合の
落胆や失望に備えて
扉の正体を不問にしていた。
それが扉を押す力を制限することになって
そのことを知った男がぼくを睨んでいる、
そんな気がして仕方なくなったが
ぼくの直感はたいがい
間違っているはずだ。
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コツコツという耳に馴染まない
どちらかというと不愉快な音で
ぼくはハッと我にかえった。
振り向くとそこには
見覚えのない男の姿がある。
彼はノミのような道具を使って
壁を丹念に調べるようにしながら
時々力を込めて壁を叩いている。
この男、いつからここにいたのだろう。
いや、ぼくこそ、
いつの間にこんなところに迷い込んだのか。
男が壁を叩く音に気づく前まで
ぼくはどこにいたのか
さっぱり思い出せない。
突然の出来事に遭遇した直後のほうが
状況を見回す時間を与えられた後より
よほど冷静でいられるようだ。
ぼくはコツコツという音を聞いたときより
その音がどこからどうして聞こえたかを
知ったあとのほうがずっと
平常心を失って明らかに狼狽えていたと思う。
自分が狼狽えていることに
ぼくが気づくやいなや
そのタイミングを見計らったように
男はぼくをその視線にとらえた。
ぼくと男の目が合った。
ぼくは、男と目を合わせているにも関わらず
男にはぼくの姿は見えていないように感じた。
正確にはそう思いたかった。
直感というのはいつも
ぼくの身勝手な思惑を隠しながら
ぼくにとって都合のいいことだけを
意識に残して去っていく。
そしてたいがい
それは事実とは異なっていることが多い。
案の定、ぼくの直感は間違っていた。
「出口を探している。」
男は乱暴にそう言って
ぼくはその言葉がぼくに向かって
投げつけられたのだと理解する。
つまり男にはぼくが見えている。
男の言ったせりふが意味することより
ぼくはぼくの直感が間違っていたことに
気を取られてしまっていた。
だから男のせりふと
男の壁を叩く仕草の間に
何の関係も見出だせないまま
反射的に男の言葉を
弾き返すようにオウム返しにした。
出口を探しているんですか?
ぼくの声はこの男に
ちゃんと聞こえるんだろうか。
ぼくが疑問に思ったのとほぼ同時に
男の答えが返ってきた。
「そうだ、出口を探している。」
二度も同じことを言われて初めて
ぼくはぼくの目にした男の行動と
ぼくの聞いた男のせりふとの間に
繋がりを持たせることができた。
彼は出口を探して壁を叩いている。
つまりここには
出口がないか
あるいは出口はあるが
まだ見つかっていないのだ。
そしてぼくも
ここからの出口を知らず
出口があるのかどうかも
まだ知らないでいるのだ。
その気づきはぼくを一気に
不安と恐怖の中に突き落とした。
待て。
入ってきたのだから
出られるはずだ。
むやみに恐れるべきではない。
けれど、どこから入った?
その答えに気がつくのを
避けるようにしてぼくは声を放った。
出口が見つからないのですか?
あなたはどこから入ってきたんです?
男は手にした道具を壁にこすりつけ
ガリガリとイヤな音をたてながら言った。
「お前はどこから入ってきたんだ。」
その質問に答えるためには
ぼくは彼へ質問することでやっと避けた
その答えをぼくの言葉で返さなければならなかった。
わかりません。
気がついたらここにいたんです。
ぼくの答えた言葉は
ぼくを正真正銘不安にさせたはずだが
ぼくの態度は逆に悠然となって
恐怖や不安をこの男に覚られまいと
ぼくのひとまわり外側に
もう一枚のぼくを羽織ったような気がした。
ぼくは突然雄弁になる。
あなたもどこから入ったか
覚えていないんですね。
ここはどこなんです?
あなたはいつからここにいるんですか?
出口を探しているって
ここは迷路なんですか?
ぼくらは迷っているんでしょうか。
「さあな。」
ぼくの言葉に対して
彼の反応はあまりにも淡白だった。
それはぼくをガッカリさせるどころか
この不可解な状況下にありながら
ぼくを憤慨させるくらいの素っ気なさだった。
けれどもぼくは
ぼくの外側に一枚羽織ったぼくのおかげで
不可解な状況を分析するのが先決だと判断する。
おかしなところに来てしまった。
一刻も早くここから脱出しなくてはならない。
そのためには情報が必要だけれども
目の前のこの男に情報を期待したり
まして協力を願い出たりするのは
あまり得策ではないように思われる。
男が手にしているノミのような道具を見て
ぼくは何も持っていないことに気がついた。
鞄も持っていなければ
時計も身に付けていない。
いつもポケットに入れているはずの
鍵の束も携帯電話もない。
コツコツという音に気づく前までの
記憶を失っていることに危うく気づきそうなり
ぼくは迂闊にも手ぶらで出掛けた自分を責める。
手ぶらで出掛ける、そんなことが
ぼくに起こり得ないことを知りながらも。
その時、男が突然声を発した。
「扉だ。」
男の指差す方を見ると
頑丈そうなたたずまいの扉が
堂々と壁にはまりこんでいた。
開けてみるまでもなく
重い扉であろうことはわかったし
だいいちノブの辺りが錆び付いていた。
扉を指差してそれを扉だと言う男の態度は
ぼくがその扉を開けるのに手を貸すのが
当然だという結論を示していた。
なのにぼくは
わざわざ男に余計な確認を行う。
扉ですね。
押してみましょうか。
でも簡単には開きそうもないですよ。
ずいぶんと錆び付いてしまっている。
すると男は意外なことを言った。
「錆はお前の都合だ。
俺には関係ない。」
どういう意味だろうか。
この男は屈強だから多少の錆び付きなど
力任せでどうにでもなると言いたかったのか。
それともこの錆がこの男には見えないのか。
まさか。
ぼくはぼくの外側に羽織ったぼくの内側で
怪訝に思いながらも
扉を開けるために扉に近づいた。
男も近づいてくる。
その時、男の手にしていた道具が
思っていたよりも鋭利なことに気づき
不可解な状況下において
男の発した不可解な言葉が
ぼんやりとした、それでいて明確な
恐怖に変わるのを感じた。
まさか。
ぼくの外側に羽織ったもう一枚のぼくは
ぼくよりも勇敢なのか鈍感なのか
どちらにせよぼくは
男と共に扉を力一杯押し始めた。
ぼくの都合の錆がギリギリとイヤな音をたて
ズルズルと滑って後退する両足を踏ん張り
少しずつ少しずつ扉は開いていった。
ぼくはこの扉が出口だろうと
思いたかったに違いないのに
この扉が出口ではなかった場合の
落胆や失望に備えて
扉の正体を不問にしていた。
それが扉を押す力を制限することになって
そのことを知った男がぼくを睨んでいる、
そんな気がして仕方なくなったが
ぼくの直感はたいがい
間違っているはずだ。