【テーマ・どうとく】


明らかにしようと試みて
いろいろなことをしてみる。

自分でわかるのと同時に
誰かにわかってもらうためだ。

明らかなことは
自分だけがわかるのではだめで
他の誰かだけがわかるのでもだめだ。

そのつりあいが
自然に取れていなくてはならない。

自分と他人の
どちらか一方かあるいは両方が
うまい具合にやっているのではいけない。

かといって
ついあいを取ることに無関心でもいけない。

そうこうして
あれこれと試しているうちに
明らかなことは
はじめから明らかだということに気づく。

ついあいは互いの努力とは
無関係のところで取られていると気づく。

もうこれ以上は無理だと思うところまで
言葉を尽くして説明したときに初めて

言葉で説明するのは無理だとわかる。

もうこれ以上は無理だと思うところまで
存在の理由を突き詰めたとき初めて

存在の理由が存在しないとわかる。

明らかになることは自明の理で
自明の理はそれだけで明らかなのだ。

なのにそれがはじめは見えない。

ちょうど
物質をこれ以上は分けられないところまで
分割していくと原子になるといわれたとき

そんなものは目に見えないのと似ている。

見えないからわからないと思っていたのに
初めからわかっていることは目に見えない。



しかし

そこがそれ以上無理だと思うところだと
どうしたらわかるだろうか。

思惟の上では道は何処までも続く。

断崖絶壁から落ちてみて初めて
そこがそれ以上無理なところだったと
気づく以外にどうやって
そこがそれ以上無理なところだとわかるのか。

これ以上言葉で説明するのは無理だと
思えるうちはまだ言葉を使えている。

存在の理由を突き詰めているうちはまだ
自分はそこに存在し続けている。

それ以上無理だとどうしてわかるだろうか。



誰にとっても明らかなことだとしても
それを問わずにいるのではいけない。

自分と他人のつりあいが
互いの努力とは無関係のところで
つりあっているのだとしても
つりあう努力をしないのはいけない。

これ以上言葉で表すのは無理だと思っても
言葉で表すのをやめてはいけない。

それ以上進むのは無理だと思うところでも
そこがそういうところだと決めてはいけない。

明らかなことは目に見えないとわかっても
ものを見ることをやめてはいけない。

自ら諦めることができる場所に
明らかなことはない。

諦めることさえいらなくなったところでなら
何もかもが明らかになるかもしれないけれど

その場所を目指してもいけない。


常に
それ以上は無理だと思うところまで
歩き続けてゆくことしかしない。

決して辿り着つくことのない場所だとしても。

そうすべきなのでない。
それしかできないのでもない。

ただそうする、それだけのこと。
















【テーマ・しゃかい】


科学の話をするなら
テーマは【りか】じゃないかと
思いたくなりますが

いま、科学の話をするなら
テーマは【しゃかい】だと思います。


子どものころ理科室で

アンモニア臭に顔をしかめたり
フラスコ内に発生した気体が
石灰水を白く濁らせたりするのに
驚いてみたり

光の進路を可視化させると
見覚えのある虹色になったりするのを
嬉しく思ったり

あのころの経験は科学でした。


形あるものはいつかみな壊れ
人間としての日常生活には馴染みの薄い
ミクロの世界に還元されていくのを
知ったとき

それは死の科学的理解であり

噛んで飲み込めば溶けてなくなると
思っていたものが体の内部で
様々に変化して血肉に変わると
知ったとき

それは生の科学的理解でした。


偉大な探求者によって発見された
既存の自然の法則は

のちに小学生が同じことを
学校の理科室で行っても
発見者と変わらぬ感動を
わたしたちにもたらしました。

自分の身の回りの出来事がすべて
例外なく自然の摂理に則って起こり

いつかはこの体も腐敗して
分解されてゆく流れにあることも

理科室の実験や理科の教科書は
わたしたちに教えてくれました。

その経験は、じつに科学でした。

そして科学はいつもどんなときも
必ずわたしのなかにあり

発見の驚喜を邪魔するものも
不可避な運命の絶望を妨げるものも
どこにもありはしませんでした。

好奇心を抑制する必要も
懐疑心を排除する必要も
どこにもありはしませんでした。

フラスコのなかに
二酸化酸素を発生させたのは
わたしではなかったけれど

石灰水を白く濁らせたのも
わたしではなかったけれど

子どものわたしが自力でできる
他のどんなことよりも
それはドラマチックで
ロマンチックな出来事でした。



ところがいつのまにか
気づけば科学はわたしのなかから
いつの間にかこぼれ落ちて

街中で起こる異臭に怯え
空に架かる虹に無関心で
実験室はわたしには
まるで関わりのない部屋になり

食べ物が体のなかで消えることも
死骸が時と共に腐敗することも
自然の法則から切り離されたところで
「当たり前のこと」として
認識されるようになりました。

そのくせ
ひとはなぜ生きるのか
ひとはなぜ死んでしまうのか

ドラマもロマンも
神経を疲弊させるような
大きな心の動きは回避して

答えばかりを求めるように
なりました。

そして

子どものころ学校の理科室で
教えられたことなどキレイに忘れ

自力では得難い答えを
「科学の力」に求めるようになりました。

自力で得られるどんな経験よりも
あんなにドラマチックで
あんなにロマンチックだった
ささやかでも偉大な実験を忘れ

科学はわたしの力の遠く及ばないところで
いつのまにか進歩し発展して
その恩恵を預かるようなものに変わりました。

心の動きは電気信号に変わり
歌声や音楽は空気の振動に変わり

どこかで誰かが
作ったり操ったりするような
非科学的なものに変わりました。

非科学的なものほど
科学であるような錯覚に囚われていきました。

病気は薬で治るとか

他の人に起こったことは
必ず自分にも起こるとか

逆に自分にだけは起こらないとか

自然の摂理よりも
自分の欲望が叶える事実の方が
大事になっていきました。

自分はなにもしなくても
科学の発展はどんどん続いて
自分だけが努力しても
世の中何も変わらないと

世界から自分を弾き出しました。

自分の生きている世界にいながら
そこにはいない自分を生きることで
大人になったようなふりをしていたのです。



でも

あの日理科室の片隅で
ほんとうにわたしを幸せにさせたのは

自分の生きている世界が
どんな風であるかを知ったことと

その世界に自分が生きていることの
喜びと感激だったのではないだろうか。

生きることが科学だと
気づいたこと、それだけが
新たな発見だったのではないだろうか。



蛇口をひねれば水が出て
スイッチを押せば電気がつき
薬を飲めば風邪が治り
イコライザーで音質を変えられて

そんな生活を送りながら
科学が自分の及ばないところで
蠢いて進化しているような錯覚を
起こしていたことに

これ以上ない恥ずかしさを覚えます。



何故か黒いテーブル
鍵の掛かった戸棚
繊細な器具が並ぶ
懐かしい学校の理科室は

ほんとうはいつもわたしのなかにあり

わたしはこの世界のなかで
自然の摂理に則って確かに
生かされているんだという

ドラマチックで
ロマンチックな

何度味わっても新鮮な幸せを

小さなフラスコのなかに
作り出してくれます。


もう、忘れたくはありません。











【テーマ・りか】


耳の穴を指で塞ぐと
ごーっという音がします。

なぜだかわたしは
それが血液の流れる音のように
思い込んでいたのですが

息子の得た情報によると
それは筋肉の音なのだそうです。

真偽のほどは
調べればすぐにわかるのでしょうけれど

敢えて調べたりはしませんでした。

息子のはなしを信じます。


むかし子どものころ
「風の谷のナウシカ」を観て
枯れたようにみえる木の幹に耳をあて

ほんとうに水の流れる音が
聞こえるのかどうか
試してみたことがあるのを
思い出しました。

その様子を
同級生に見られていたらしく
あとから大変恥ずかしい思いを
したのも思い出しました。

なのに

肝心の水の流れる音が
聞こえたのかどうかを
思い出すことができません。

聴こえていたと信じます。



この身を駆け巡る血液の音を
絶えず伸縮を繰り返す筋肉の音を
梢の若芽に運ばれる水流の音を
彼方にまたたく星たちの音を

わたしは聴いていると信じます。