【テーマ・しゃかい・子育て】
子育てに関わっていると
折に触れて思います
果たして自分は
一体どういう立場で
暮らしているのだろう
ひとは誰でも
その一生のなかで
いくつもの
役割を担います
誰かの子どもとして
誰かの兄弟として
誰かの友達として
誰かの教え子として
誰かの同僚として
誰かの上司として
誰かの恋人として
誰かの伴侶として
誰かの親として
…
あるものの生産者として
あるものの消費者として
あるものの破壊者として
…
きりがありませんが
特に子育てや家族に関しては
自分の親の子である自分と
自分の子の親である自分と
その両方である自分を
とりわけややこしく感じます
同一人物でありながら
そこにはまったく違う性質があり
立場上優先される事項も違い
立場上禁忌とされる事項も違う
わたしは
ものごとをとかくバラバラに
考える傾向があることに
気づいたのですが
そうでなかったとしても
人間はやはり
ごく普通に多面性を持つ生き物であることは
間違いないと思います
母親として子どもと接し
配偶者として夫と接し
子どもとして親と接しながら
ときどき
母親でも妻でも子どもでもない
肩書きのない自分とは
いったいどこにいるのだろう
と考えずにはいられないのです
その自分を意識して見出だすことが
あまりにも漠然としていて
あまり重要ではないような
錯覚にとらわれていくのですが
その「名もなき自分」こそ
たくさんの肩書きや立場や顔を持ちながらも
「ゆるぎなき自分」を保つために
絶対不可欠な存在であると
思わずにはいられません
じゃあ
その「名もなき自分」はどこにいるのだろう
人間の同一性を保つ楔
わたしの主人公は
どんな姿をしているのだろう
わかりません
わたしは自分の人生の
主人公を見極めることすら
ろくすっぽ出来ないわけです
それでも
毎日は過ぎていきます
主役のいない舞台は
第二幕、第三幕へと
目まぐるしく展開していく
ひとつだけ
今はっきり思うのは
わたしの人生では
子どもとして登場する
わたしの娘や息子ですが
彼らの人生にとっては
わたしは母親として登場する
バイプレイヤーなのです
彼らもまた
自分の人生の主人公を
模索するなかで
わたしは彼らにとって
どんなときも
母親として認識され
それは揺るぐことはないだろうと思います
そちらがむしろ
わたしにとっての
主人公であるように
思うときもありますが
彼らにとって確固たる
母親という立場も
わたしにとっては
危うい多面性の一部でしかありません
母親であることを忘れ
別の自分が得た不快感を
子どもにぶつけてしまうことが
今までに何度あったか…
わたしの人生は
娘や息子の人生の
アナザーストーリーです
ちょっと乱暴な考えですが
人間の個人の人生は
例外なく他の誰かの
アナザーストーリーです
そのなかで
メインストーリーを
生きることの難しさ
それを
子育てに関わっていると
折に触れて
思わずにはいられないのです
名もなきわたしは
どこにいて何を望んで
いるのだろう…と