【テーマ・ひるやすみ】


雪雲の合間から
ときおり注ぐ
太陽の光が
あたたかに感じます

先日わたしの息子が
「ママ、知ってる?」
とキラキラしながら
教えてくれたのは

「冬きたりなれば
春とおからじ!」

感心するわたしに
小さな先生が続けた言葉は

「ってどういう意味?」

わたしは息子に
彼のこころに触れた
その言葉の響きの
意味するところを
現代語に翻訳することは
できますが

教えたことの何倍も
意味のあるなにか大切なものを
教えてもらいました

あの日
冬の到来に憂いた
凍えたままのわたしを

その日
息子があたためて
くれました

春のひだまりの記憶は
わたしの母のぬくもり

こころに響く
言葉の意味には
過去も未来も
分け隔ては
ないのですね

弥生の空は
見渡すかぎり
時空を超えて
澄みわたります











【テーマ・ひるやすみ】


たとえば
卒業アルバムを懐かしく
眺められるようになるまでに
ややしばらくの時間が
必要だったりしませんか

過ぎ去った時間の残す
公平な記録を
まともに目の当たりにするのは
ときに辛いことです

わたしたちはみな
過去に起こった現象や感情を
記憶という素晴らしい能力で
蓄積することができます

けれども人間は
当たり前ですが機械ではないので
パソコンのデータを
ファイルやフォルダ管理するようには
記憶を整理することはできません

ありとあらゆるデータに
ありとあらゆるリンクが貼られて
いるかのように
すべての記憶がつながっていて

うっかりすると
とんでもない場所へ
簡単に移動させられて
しまいます

記憶の一元管理に限界を感じたら
またついうっかり安直に
アカウントを増やしたり
無理やりファイルを作ったり

面倒になってバッサリ削除したり
したくなるかもしれません

けれども
そうやって記憶を
いじくり回していることの記憶も
また新たに蓄積されていきますから

やはり
人間は当たり前に
機械ではなく
記憶はデータではないのですね


記憶とはなんだろうか
そういう疑問を解決するために
さまざまな分野の研究を尋ねて
勉強することはできますが

それすら結局
未知の記憶との
新たな出会いにしかすぎません

記憶とはおそらく
時間軸さえ縦横無尽に行き来する
感情の影のようなもののように
思います

現在の存在を
支え証明し主張してくれる
エネルギーのようなものです

それなしには存在できない
個人を存在させるための
不可欠なエネルギーです

それゆえ
人間は現存に不安を感じたとき
記憶を都合よくいじくって
安定しようとするのでは
ないかと思います

知らなかった知識を得て
安心することもまた
未来側の記憶を操作するという意味で
記憶をいじることと同じでしょう


わたしたちは
自然に振る舞えば振る舞うほどに
自分勝手な生き物です

生きるため
あらかじめ
そのようにできている

しかしその本能が
かえって生きることを
困難にしてしまうこともある

記憶を自分の都合よく
いじくり回してしまった後始末は
実は非常に大変で

パソコンやケータイを
初期化するような
簡単なことでは済まないことを

わたしは
恥ずかしながら
いまになってようやく
気づきかけてきました

見つめるべきは
膨大な記憶という情報ではなく

見つめるべきは
自分が歩いた
ひとすじのあしあと

あきらかに公平で
あきらかに不滅の

あしあとならば

踏んだ自分を
否定しても肯定しても
意味がありません

そこを確かにあゆみ
そこに確かに存在した
唯一無二の証です


これからは
このブログも
そんなあしあとの
ひとつになるよう

こころを確かに
書き続けていきたい
と思います