【テーマ・どうとく】


捨てるという行為には
例外なく
同時に拾うという
行為がつきまとう

捨てる選択をするとき
例外なく
同時に何かを
拾っているのだ

いまの自分に
それが必要かどうかを
思案するとき
いまの自分は
ものを通して
過去の自分を
呼び起こし

まるで古い友人と
旧交を温めるかのように
思い出を拾い集め

懐かしさに微笑み
かつての痛手に傷つき
愚かしさに嘆き

そして
いまの自分は

捨てることと
失うことの
違いを学ぶ


拾うべきものを
無視したまま
手離すことに偏れば
それは放棄といって
捨てることととは違う

捨てることで得る
形なき不変の思いを
現在過去未來の
どの自分とも
分け隔てなく
共有することを
こころから許したとき

思いを媒介した
そのものに対する
執着が解けて消え

おのずと捨てるという
行為と相成る

執着に目をつむり
寄せる思いを乱暴に払いのけ
放棄する行為は
捨てることとは対極の行為であり

むしろ形という手掛かりを
永久に失いさまよう思いを
産み出すだけの行為だと思う

溢れるモノに埋もれ
ゴミ屋敷に住まうも
空虚な世界に憂い
居場所を求めてさまようも

どちらもおなじ

捨てる思いを拾えない
ただそれだけのことだ

ひとつ捨てるごとに
何倍もの思いを拾う

捨てるごとに豊かになる

ただし問題は
モノには
他人と共有の
思いがあり

わたしの捨てる行為を
はたで見つめる他人が
わたしの行為によって
傷つくのだということ

捨てるごとに
その傷つきをも拾う

それがわたしには
とんでもなく
むずかしい

誰かを犠牲にした豊かさなど
真の豊かさであるはずがない









【テーマ・こくご】


あるひとはそれを
怒りの火焔だと言った

身も心も焼き尽くす
我を忘れた炎だと


あるひとはそれを
戦いののろしだと言った

身と心を奮い立て
情けを捨てるしるしだと


あるひとはそれを
助けを求める報せだと言った

依るものもなく
その身を焼いて
助けを呼ぶいのちの灯だと


表の顔から火を放たれて
その屍は灰になった

裏の顔からなみだが流れ
その屍は溶けていった


あるひとはそれを
人間だと言った

何度も何度もその身を焼いて
怒るたびに戦うたびに
哀しむたびに嘆くたびに

救われるたびその身を焼いて

生まれ変わる
いのちのさまだと








【テーマ・そうさく】


ぼくは誰かの声がするのを
心待ちにしていたけれど
そういうときほど
かえって闇の深さが増すことにも
どこかで気づきかけていた。


ぼくにぼくの
目があるのだと仮定すれば

もし暗闇のなかで目を凝らせば
闇に目が慣れてきて
何かが見えてくるのを期待したり
どこかに光があるのではないかと
あたりを見回して探したり

そういう努力をするのが
当たり前のような気がするけど

ぼくにぼくの
目があることが
ぼくの希望という仮定にある限り

ぼくがどんな努力をしようと
それはぼくの
妄想の域から実際に移ることのない
絵空事だということに

ぼくの意識は気づいている。

つまり
ぼくが光を意識することが
かえって闇を深めている
ということだ。

ぼくがぼくの
ぼくだという実感を
薄明かりのなかに
求めている間は

実際のぼくは
ぼくのからだすら
意識できない深い暗闇に
漂うだけだということを
忘れていて

その不自然な忘却が
ぼくに得体の知れない
恐怖をもたらしている。


しかもそれに
怯えている間は

実際のぼくは
そこが暗闇のなかだということさえ
ついでに忘れてしまっている。

だから
ぼくはぼくの
実際を忘れたところでしか
恐怖に怯えることも
またその恐怖から逃れる努力も
できないということを

ぼくはぼくの
妄想のなかでだけ
理解をしている
ということだ。





「マスター、いつものやつね。」

ぼくのすぐ耳許で
男の人の声がした。

ぼくは仰天して
椅子から転げそうな気がして
その時になってようやく
ぼくはぼくの体を意識した。

ほんの一瞬のことで
ぼくはぼくの望みのかなったことに
気づいてそして
ぼくはぼくの切なる望みを
あんなに望んだことさえ
ほら
忘れていくんだ。


「やあ、君もこれどうかな。」

男の人はぼくの右隣に腰を掛け
ぼくにも飲み物を勧めてくれた。

「うちのマスター、凄腕なんだ。」

ぼくは目の前に現れた
きれいな飲み物の置かれた
カウンター越しに
男の人の言うマスターの姿を探した。

すると男の人は笑って言った。

「キョロキョロしたってダメだよ。
彼は僕のマスターだからね。
君には見えないはずだよ。」

確かにカウンターの向こうは
見覚えのある暗闇が
広がるばかりで
他に何の気配もなかった。

「さあ、乾杯しよう。
君との再会に乾杯。」

ぼくは促されるままに
きれいな紫色の飲み物を飲んだ。

透き通った飲み物は
ぼくの味覚を刺激して
それがぼくに
彼がバイオリン弾きだということを
教えてくれた
いや
思い出したんだ。

「今日はピアニストの彼女は
一緒じゃあないんだね。」

遠くでチャイコフスキーが
聞こえていた。
バイオリン協奏曲二長調。

ぼくの好きな曲だ。

「今日も僕のマスターは
イケてるだろう?
これはいいとこ取りのカクテルさ。

ソリストなら誰だって
一度は夢見る憧れの一杯だね。」

彼は真夜中の路上で
毎夜バイオリンを弾いている。
足元に蓋を開けたまま置かれた
バイオリンケースには
わずかな小銭が
無造作に投げ込まれている。

彼はきっと
一流のバイオリニストだけど
彼を取り巻く観衆は
残念ながら一流ではないんだ。

少なくとも彼は
そう感じていて
それをなんとも思っていないのだと
ぼくは考えていた。

「今日は最高の演奏だった。
だから僕のマスターは
最高のご褒美をくれるのさ。
最高の気分のお裾分けだよ、
遠慮はなしだぜ。
それから、同情もなしだ。」

バイオリニストが少し
寂しそうな顔をしたので
ぼくはぼくの考えが
彼に伝わったことを知って

いたたまれなくなった。

けれども彼は
すぐにまた朗らかに笑ったから

ぼくはますます
複雑な気持ちになってしまった。

「君は優しいんだなあ。
そんなときは、君も
君のマスターに何かお願いしなよ。
君の気の済むようなピッタリの
最高のカクテルをさ。」

バイオリニストの彼は
ぼくの戸惑いを知っているかのように
微笑みながら話を続けた。

「僕には僕のマスターがいるように
君には君のマスターがいるよ。
世界最高のマエストロがね。

次に会ったら今度は君の
最高の一杯をご馳走してくれよ。
あの彼女も一緒にさ。

そしてみんなでアンサンブルだ。

今度はタクトを忘れるなよ。」

そう言って彼は
薄明かりのなかから
去って行った。

去って行ったけれど
不思議とぼくは
バイオリニストが
さほど遠くへ行った気がしなかった。

むしろ
彼の姿が目に見えていたときより
うんと近づいたようにさえ
感じていて

ついでに
誰もいないはずの
ぼくの左隣の
小さな椅子に

懐かしい彼女の
おもかげを

ほんの一瞬
感じた気がした。



タクトを忘れるなよ…

ぼくはぼくの
からだの感覚と
バイオリニストの残した言葉を
名残惜しく思いながら

ぼくのマエストロの
行方を探そうと
また暗闇のなかに
還っていくのを
感じていた。