令和時代において最大かつ最悪の地震と呼ばれた能登半島地震から1年が経過しようとしている。家屋の下敷きや津波、そして災害関連死などで確認が取れている犠牲者数は489人、現在更に多くの犠牲者遺族が災害死の認定を要求しており、推定では最終的に700人以上の犠牲者が出たと言われている。
令和6年の正月元旦の祝日に能登半島全域を襲った震度7、マグニチュード7の巨大地震により、多くの方々が犠牲になった。特におりから発生した市街地の火災は地震の恐怖に震える人々を更に混乱させた。
この大火災により能登半島輪島市を賑わせた輪島朝市は商店街横丁の一体が焼け野原となり、かつての繁栄の面影さえ、感じられなくなってしまった。

住居を飲み込む9mの大津波

大津波は一気に住宅街に流れ込んだ
そして輪島市や珠洲市、能登町などの沿岸部では地震による影響で高さ9mの大津波が発生し、港や商店街や住宅街、畑や田んぼを次々と飲み込んでいった。
一方当時の首相である岸田文雄と与党政治家らは地震の被害を軽視し、火災や津波を楽観視し、能登半島の国民を事実上見捨て、新年会を梯子していた。その結果、救助を待つ被災者らは、間に合わず次々と死んでいった。
また自民党は自国民への支援よりもウクライナへの支援を優先し、結果的に能登半島への救援が手薄となった結果、災害関連死が続出する結果となった。
自民党政権でなかったら、いやせめてもう少し、まともな人間が首相だったらもっと被害は減らせたのでは無いだろうか?
今まで森加計桜スキャンダルやコロナ禍の対応不足など自民党の失政が続いても国民は馬鹿正直に自民党の政治家らに投票し続けてきた。石破茂首相の衆院解散発表時の謎の余裕はそこからきている。
しかし結果は鳥取を除く全ての選挙区で与党自民党政治家らへの得票が激減し、自民党と公明党の連立与党は全盛期の5分の3程度の議席に落ち込む大敗を喫した。これにより2012年より長らく続いた自民党による1党独裁政権が崩壊し、少数与党となった。

なぜ負けたのだ?一刻も早く復興を望む被災者の住民を横目に見て、自分達の権力維持の為に走ったからではないか?有権者を見殺しにしてウクライナや海外に金をばら撒いたからではないか?ハッキリいって自民党がまだ与党にいる事自体がおかしいのではないか?能登、奥能登の復興を実現する為には政治の刷新が必要である。





