閉店かな、、 原点が消える時 | 麺堂稲葉のグローリーデイズ ~口笛でも吹きながら~

今回は久しぶりに限定メニュー以外がネタのブログです





僕のブログを昔から読んで下さってる方は覚えがあるかもしれませんが、





僕のラーメン人生は【ラーメンショップ】から始まりました





記憶が正しければ僕が16歳の頃かな、父親から




「近くにラーメン屋が出来たから行かないか?」





と誘われて、父親と二人で食べに行ったお店が





【ラーメンショップ大山店】





そう、現在の麺堂稲葉から100メートルほどの位置にあるラーメン屋が、僕をラーメンに目覚めさせたお店です




そこからは、時に友達と一緒に、時に一人で、




何度も何度も通いました




ネギラーメンの魅力に取りつかれました





お金はあまり無かったから、本当はネギチャーシュー頼みたかったけどガマンして、





食べ盛りの小林少年のお腹を、ネギラーメン中盛りが満たしてくれました





高校やめてバイトしてたから、週3、4は行ってたなー





バイト終わりに行くことが多かったので、閉店間際にかけこんで、




シャッター閉まったお店でラーメン食べて、




そんなことしてたら、




もつ煮をサービスで出してくれるようになりました





もつ煮って食べる機会が無い食べ物だったから、初めて食べた時は衝撃だったし、正直苦手でした




でも、毎回サービスしてくれるので苦手だとも言えず食べてたら、いつの間にか大好きな食べ物になって、




料理好きな僕は家でももつ煮を作るようになっていました




今でも僕の中でもつ煮とは、ラーメンショップ大山店のもつ煮が基準です




こう考えると、ラーメンともつ煮の原点だ笑い泣き





そこからラーメンショップの食べ歩きにハマり、さらにラーメンの食べ歩きに発展していきました




その中でラーメン屋になるきっかけを得るお店に出会うのですが・・(これはまた別の機会に)




そもそもラーメンショップ大山店が無ければ、そして父親に誘われなければ、




麺堂稲葉は生まれなかったかもしれません




今は近すぎて逆に行きづらく、移転してからは1回しか行ってないですが





1ヶ月ほど前、「身内に不幸があったのでしばらく休みます」って張り紙が張り出され、そこからずっとお店閉めてたんです





最近その張り紙が外され、「再開するんだ!」と思ったら









売物件??





麺上げしてたお父さんか、接客していたお母さんか、どちらかに不幸があったのかなと心配していましたが・・





真相は分からないけど、お店を畳むって選択をしたのかなえーん



一緒に働いていた息子さん、継がないのかな






ネギラーメンともつ煮、もう一度食べたかったな





僕の原点が、青春が、ひとつ消えてしまうかもと思ったら、非常にせつない気持ちになります





飲食店は知らず知らずのうちに、誰かの青春の味になったり、誰かの思い出の味になったりするんですね





麺堂稲葉まだ14年、



ラーメンショップの半分もまだたぶん過ぎてない、




頑張らなきゃな、、、





ARIGATO、ラーメンショップ大山





🤟