どんなにささやかな場所だとしても、全力でやる。

その仕事の意味や意義は、同時代的には、たぶん分からない。

そんなものが確定するのは、死んだ後だろう。

ゆえに、振り返らない。

 

目の前の締め切り、人気投票、それに気を取られれば良い。

おそらく、この50年に渡る漫画シーンは、後の世では、重要な位置づけになると思う。

それは、評論家に任せて。

 

表現者は、キャラクターとともに、駆け抜ければ良い。

理屈や理論は、他の誰かに任せて。

 

漫画に集中できる環境というのは、すごく恵まれている。

今が、まさにそれ。

漫画を描く道具がある、載せる媒体がある、読み手もいる。

考えようによっては、黄金期である。

それを邪魔するものは、己の慢心のみ。

 

1000年前、紫式部が源氏物語を書いた時、藤原道長というパトロンがいて、紙が十分にあって、周囲に次が早く読みたいという人たちがいて、さらに清少納言というライバルもいて、今から見れば、奇跡的に良い執筆環境だったんだなと分かる。

 

当時の紫式部が、千年の後にも読まれていると思ったかどうかは、定かではないが、たぶん自分の死後に、後々まで読まれるであろうという秘めたる自信はあったと思う。

 

作者は滅しても、キャラクターは死なず。