現実世界では、半径5キロ以内のことですら、完全に把握することは難しい。
情報社会と言っても、人間1人で集まられる情報量はたかが知れている。
新聞、テレビ、ラジオ、スマホ……所詮は、伝聞である。
情報の真偽を確かめるのは困難。
実は、何か事件が起きても、始まりと終わりが良く分からないことが多い。
終わりがあればまだましで、終わりもなく、うやむやになって、世間から忘れ去られることも多い。
そして風化する。
現実は、意外にモヤモヤしていて、不確かな世界である。
そこで、フィクションの世界では、誰にでも分かるように、出来事の発端、見せ場、解決がキッチリと示される。
そうでないと、現実同様にモヤモヤしてしまうから。
さらに、主なる登場人物(主人公)を設定し、事に当たる。
彼(彼女)の動きを追っていけば、物語の発端、全容、おいしい所(クライマックス)、結末がすべて分かるという誠にありがたいものである。
見終わった後に、スッキリすること請け合い。
フィクションは、現実的な事件の簡略化したものでもある。
何年にも渡るような出来事も、複雑な事情も、2時間とか、コミックス6巻とかで纏めてしまう。
調べる人と、その人の立場、立ち位置で違って来るような現実的な調査、解釈とは、根本的に異なる。
一通りの解釈で、一刀両断、快刀乱麻。
見た後で、モヤモヤがないことが素晴らしい。
人間は、世の中の森羅万象を知り得ることはない。
せめて、フィクションの形で、擬似的な世界を知りたいと希う。
フィクションは、世の中のガイダンス。
世の中のダイジェスト。
殺人鬼の心の中なんか誰にも分からないし、描けない。
それでも、妄想たくましくして、作家は彼(彼女)の心の中を描くのである。
まるで見てきたかのように。
あるいは、本人のように。
ドラキュラの心の中だって、死に神の心の中だって、妖怪の心の中だって、描いてしまう。
考えてみれば、凄いことだ。
フィクションは現実を分析し、飲み込み、乗り越え、現実以上に、現実の本質を露わにする。