NEWポストセブンに書かれた記事の一部を抜粋しておる。
(週刊ポスト2021年8月13日号)
普通は最期の言葉といえば、「俺がいなくなってもお母さんを頼むな」「苦労かけたな」といった家族に対する言葉を想像しますが、うちの主人はそれがないんです。私に対しては、最後まで「大丈夫」という言葉しか言わなかった。 だから私たちはいつも主人が書いたものを読んで、“そう思っていたんだ”と気づかされます。
まず、最期の言葉というのはどの時を指していたのか分からぬが、ホスピスに入院していた3日間の出来事のことであれば、大島康徳殿は【話せない状態】だったはず。故に最期の言葉というのは「あー、うー」などの発音だったと阿佐ヶ谷のご婦人が後に語っておる。
(だがしかし、息子がオヤジはありがとうと言っていたという。)そんな馬鹿な
そして、阿佐ヶ谷のご婦人は大島殿のブログを読んで夫の気持ちを知り「そう思っていたんだ」と白々しく答えておる。
なぜ白々しく、と書いたのかと言うと「祭より」と夫のブログと言うプライベートスペースで犬に成りすましておきながら、ブログがアップされてから夫の気持ちを知ったような口ぶりだからである。
吾輩はこの部分も気になったのだ。
私たちはいつも この部分である。私たちということは息子も含んでおる表現故、息子達も大島殿のブログを読んでいたと、この記事を“読む側は”そのような認識になるはずだ。普通、息子(成人した大人)が親のブログを読むものか? ナイナイ( `―´)ノ
吾輩は読めと言われても断る(吾輩個人の意見であるが)
さて、皆様はどのように感じられたであろうか。
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余談、
今回は普段と違って改行を減らして、ブログを書き始めた頃のようにしてみたのだが、ただの気紛れである故、これっきりかもしれぬ。