野球のことは興味がない
野球のことは分からない
それでも良いのだ。
夫が野球人だったというだけで、知識も興味もないなら触れなくてもよい。妻に他界した夫の仕事や趣味などを背負わす必要もないと吾輩は思う。アスリートの妻というだけで世間が「妻がサポートして当たり前」という目で見ようが【私は私】を貫けばよい。自分軸で生きるとはそういうことである。
世界でも日本でも専属のトレーナーや食事管理を専門とした人を雇っているアスリートもおるのだ。そして自分で全てを管理するアスリートも居る故、妻が夫の仕事のサポートをしなければならないわけではないのだ。だgしかし、大島奈保美殿に限ってはそこに批判が集中してしまうのは何故か、その理由を分かろうとしない。それどころか、大島奈保美殿は「野球人の妻」ということにはほとんど触れぬことでその話題を避けておるのであろうな。
オフィシャルという看板を掲げておきながら「野球人の妻」という看板は出さぬのは、野球は分からない、興味がない世界、というだけではなく【大島康徳の言葉と意思を繋ぐ】という約束を果たす必要が出てくる故、出来るだけ野球のことには触れぬようにしている可能性もある。もしそういう考えであればあざとすぎる。
何故、大島奈保美殿が嫌われ、批判されるのか。
それは野球人だった夫をサポートしていないからではない。料理が出来ないからでもない。パニック発作や片頭痛発作が異常だからではない。眠れない、軽い発作、頭痛が酷い、と言った後でも外食が出来るからでもない。小盛ですといいながらガッツリ食べるからでもない。独り暮らしで病弱をアピールするからでもない。それらは正直どうでもいいことなのだ。一般の前期高齢者の生活事情や体調など、他人事にすぎぬし興味もござらぬ。
心の整理がついたら話すので「待っていてください。」と読者を欺き、5年間語ることもなく日記を平然と書いていることや、大島康徳殿にまで泥を塗るような行いに、多くの方が憤りを感じていると言うことに背を向け被害者面を続けていることである。と、吾輩は感じておる。
大島康徳殿のファンや野球ファン、闘病してた大島殿を応援し続けた方たちの思いを、いつまでも馬鹿にしてはいけませんぞ。大島奈保美殿がオフィシャルでブログを始めることが出来たのは、命を全うした夫からのバトンを「繋ぐ」ため、読者に届ける為ではなかったのか。