大島康徳殿が在宅ではなく
病院での最期だったことは
仕方がないこと故、
阿佐ヶ谷のご婦人に対して
夫の願いを叶えられぬ妻、
というレッテルを張るのは
吾輩にはできぬのだ。
吾輩は、大島康徳殿は
家に帰りたかっただろうと
今もそう思っておるが、
在宅緩和ケアの先にある
” 看取り ”
それには見送る側の
大きな覚悟が必要になる。
分かっておるのだ、
その日が来ることは。
だがしかし、
どれ程強い覚悟をしても、
気持ちが追い付かぬもの
見送る側の家族の気持ちは
計り知れぬのだが
阿佐ヶ谷のご婦人に対して
吾輩は良い感情が持てぬのは
ご婦人の日ごろの行いの所為
もし、その頃にご婦人が、
嘘のない、大島殿の状況を
妻がブログで代弁していたら
今の状況にはなっておらぬ。
例えば、
呼吸が荒くなって怖いので
どうしていいのか分からず
訪問医に診てもらい、
在宅では厳しいとの判断で
入院することになりました。
(大島家内:奈保美)
と、あれば
夫の死を感じる恐怖を、
自分の無力さに嘆く様を、
読者は想像し、寄り添えたはず。
在宅で看取ることが出来ずに
それを後悔し続ける家族は
実は、以外にも多いのだ
在宅で看取る。この覚悟は
「出来る」ことと現実には
大きなギャップがあるのも事実
どれだけ覚悟をしても
大切な人を見送る時は
その覚悟は何だったのかと
あんなに覚悟したのにと、
「死」というものは
覚悟してもしきれないものだ。
数日間でも家で過ごせた、
大島康徳殿の願いは叶った。
それは良かったのだと
吾輩はそう思っておるぞ。
重苦しい内容だが
緩和ケアについて
看取る覚悟について、
考えるきっかけになった
そう思ってくださる方は
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