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ここ二三日の朝日の誤報連続報道は今始まった事ではないが、30年前にすでに自社で疑義が検証されたはずだが経営陣の左翼化の連続で今日まで告示されなかっただけであって、一部の専門家などが前から指摘されていた事であって、今更と言う感じだ。面白いのにはNYTが未だに日本の「慰安婦」問題を肯定していることだ。

これをもし否定するとアメリカの報道官が言ったように「このようなことがあってはならない」迷言(?)していることは、なにお隠そう朝鮮戦争、ベトナム戦争、そして沖縄の海兵隊のための良く言えば「歓楽街」の設置が条件らしいことをアメリカ自身か肯定することになる。すなわち自分のところに火の粉が飛んでくるのを恐れているからだ。

いずれにせよ戦争とこの問題はローマ帝国からの永遠の課題であるが、悲しいか「死」に直面した人間の

本能である事だろう。世は綺麗事では済まされないのだ。

すぐさま隣国たちが「歴史認識」を言葉にするが新しい所では毛沢東の国民政府との戦い。政権闘争での文化大革命時の大虐殺、また韓国の済州島での自国民への大虐殺、ベトナム戦争時のベトナム人への大虐殺などは自己民には歴史として教育されていない事実は「隠ぺい」「捏造」は彼らにとっては国是であろう。

話は戻るが東欧の「ルーマニア」の国があるがそこは遺伝的に民族はラテン系らしい。なぜならローマ帝国時代に長い間平定した結果らしい。

気になる記事があったので転記してもた。例のNHKの韓国ドラマも捏造の塊らしい。所詮そのような国なのだ。


【時視各角】「映画『鳴梁』は歴史歪曲だ」(1)
李舜臣(イ・スンシン)将軍の丁酉年(1597年、鳴梁海戦当時)日記は2種類がある。一つは簡単な事実だけを記録したもので、もう一つはもう少し詳しい。詳しい日記に記録された慶尚右水師・ペ楔(ペ・ソル)の関連内容はこうだ。

8月17日に軍営(康津)に到着すると、誰もいなかった。慶尚水師のペ楔は私が乗る船を送らなかった/18日、会寧浦に行った。ペ楔は船酔いを口実に出てこなかった/19日に将帥らに教書に粛拝させたが、ペ楔はしなかった/25日、唐布の漁夫が避難民の牛を盗みながら外敵が来たと嘘をつき、驚かせた。(嘘ということを知って)軍士らは安心したが、ペ楔はすでに逃げた/27日、ペ楔が来たが、おびえていた。私はそっと「水師はどこかに行ってしまったのではなかったのか」と話した/30日、ペ楔は敵が押し寄せるのを心配して逃げようとした。このため彼の部下の将帥らを呼んで率いた。ペ楔が奴婢を通じて「病気がひどく健康管理をしたい」と求めた。陸地で健康管理をするよう公文書を送った。ペ楔は右水営を離れて陸地に上がった/9月2日、ペ楔が逃げた。

この記録に改めて目を通したのは、この秋夕(チュソク、中秋)に“ホット”な先祖イシューを投げかけたのがペ楔将軍だったからだ。彼の子孫が「映画『鳴梁』がペ楔の名誉を傷つけた」とし、上映中止要請とともに製作スタッフを告訴すると主張した。李舜臣将軍との葛藤は上の記録ほどだが、映画ではペ楔が暗殺の動きに亀甲船を燃やす“悪党”として描写されたという理由だ。

最近のべネチェアの国際映画祭でまたまた中国人がやらかした。共産国だから仕方ないが、南朝鮮人と同様過去の歴史認識不足もはなはだしい。相変わらず無教養ぶりを発揮し
しかも国際舞台であるから自ら恥をさらしたもんkだ。
黄氏の本ではないが彼らは何回謝っても同じだと記してあったのを思い出した。そう、100年前も福沢諭吉も「脱亜論」で予測していたのだ。中国、南朝鮮とはかかわらないことだ。
彼らの頭の中には「友好」の二文字はない。