『千と千尋の神隠し』をやっていました
これまた信仰と繋がるなって思います
この作品は、、観るたびにいろんなことを考えたり、想ったりします
観るたびに、いろいろ発見があるのも面白いです
毎回、思うのです
なぜ今まで、このシーンに疑問を持たなかったんだろう?
なぜこのキーワードに気づかなかったんだろう?って
毎回です(笑)毎回思うのです(笑)
不思議な世界へと入り込んだ、千尋の家族
八百万の神々が、疲れを癒しにくる『湯屋』
でも、看板は『油屋』となっているんですよねー
『湯』ではなくて『油』
なぜなんだろう
湯と油
水と油
相反するもの
その2つで1つの場所を表しているということも面白いな〜と
オーラソーマのカラーボトルみたいですね
水と油で2層になっているボトル
『湯屋』であり『油屋」は、お湯で神様を洗い流す
癒し清める場所
マグダラのマリアが、キリストの足に香油を注ぎ髪の毛で、それを拭った
それをなんだか思い出しました
それとか
救世主=油を注がれし者
とも言われます
湯で洗う
油で洗う
イエス・キリストが浮かんできました
そして
『湯屋』『油屋』
数ヶ月前に、やたら書いていた『ユダ』のことも思い出しました
ユダのことを書いていた時
きっと湯田さんという名前の人もいるよねー!
もしこのブログを読んだら、イヤな気持ちになるかもしれないなーと思ったりしていました
そしたら、山口に招待されて行った場所が
『湯田温泉』でした(笑)
土地名にあったか⁈とびっくり
湯田温泉とユダ
『湯屋』『油屋』
あと千尋が電車に乗っているシーン
電車には、中道と書いてありますね
真ん中の道
中道とは、仏教語
↓
仏教の実践についての基本的な考えで
対立または矛盾しあう両極端の立場を離れ
両極端のどれにも偏らない中正な立場を貫くこと。
だそうです
千尋を見ていると
中道だな〜って思います
わたしたちは、不安になればなるほど
心配になればなるほど
怖くなればなるほど
真ん中にいるのが難しくなります
偏りたくなります
真ん中って、良いも悪いもない道
良いでも
悪いでもない道
中道
わたしたちは、良い道を行きたがります
悪い道を避けたがります
安心な道を生きたがります
不安な道を避けたがります
いつもいつも、どちらがいい?
どちらが正しい?
わたしたちは、いつもいつも分けたがります
どっち派?とか
好き?嫌い?とか
いいと思う?悪いと思う?とか
千尋は、その真ん中を歩いていました
どちらでもなく真ん中
その真ん中の道は、心に従う道なのだなって思います
ちょっとつづくかも