信仰から見えてくるものと見えなくなるもの② | きっと地球に遊びに来たんだよね!

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「私は誰なのか? なぜ生まれてきたんだろう?」忘れてしまっている大切なことを、思い出したい人へ…

一昨日は、テレビで
『千と千尋の神隠し』をやっていました

これまた信仰と繋がるなって思います


この作品は、、観るたびにいろんなことを考えたり、想ったりします

観るたびに、いろいろ発見があるのも面白いです


毎回、思うのです


なぜ今まで、このシーンに疑問を持たなかったんだろう?

なぜこのキーワードに気づかなかったんだろう?って

毎回です(笑)毎回思うのです(笑)


不思議な世界へと入り込んだ、千尋の家族

八百万の神々が、疲れを癒しにくる『湯屋』

でも、看板は『油屋』となっているんですよねー


『湯』ではなくて『油』
なぜなんだろう

湯と油
水と油
相反するもの

その2つで1つの場所を表しているということも面白いな〜と

オーラソーマのカラーボトルみたいですね
水と油で2層になっているボトル

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『湯屋』であり『油屋」は、お湯で神様を洗い流す
癒し清める場所

マグダラのマリアが、キリストの足に香油を注ぎ髪の毛で、それを拭った

それをなんだか思い出しました

それとか
救世主=油を注がれし者
とも言われます

湯で洗う
油で洗う

イエス・キリストが浮かんできました

そして
『湯屋』『油屋』

数ヶ月前に、やたら書いていた『ユダ』のことも思い出しました


ユダのことを書いていた時
きっと湯田さんという名前の人もいるよねー!
もしこのブログを読んだら、イヤな気持ちになるかもしれないなーと思ったりしていました


そしたら、山口に招待されて行った場所が
『湯田温泉』でした(笑)

土地名にあったか⁈とびっくり


湯田温泉とユダ
『湯屋』『油屋』


あと千尋が電車に乗っているシーン

電車には、中道と書いてありますね
真ん中の道

中道とは、仏教語

仏教の実践についての基本的な考えで
対立または矛盾しあう両極端の立場を離れ
両極端のどれにも偏らない中正な立場を貫くこと。

だそうです


千尋を見ていると
中道だな〜って思います

わたしたちは、不安になればなるほど
心配になればなるほど
怖くなればなるほど

真ん中にいるのが難しくなります
偏りたくなります


真ん中って、良いも悪いもない道

良いでも
悪いでもない道

中道

わたしたちは、良い道を行きたがります
悪い道を避けたがります

安心な道を生きたがります
不安な道を避けたがります


いつもいつも、どちらがいい?
どちらが正しい?

わたしたちは、いつもいつも分けたがります

どっち派?とか
好き?嫌い?とか
いいと思う?悪いと思う?とか

千尋は、その真ん中を歩いていました

どちらでもなく真ん中

その真ん中の道は、心に従う道なのだなって思います


ちょっとつづくかも

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