ローマ帝国
現在ヨーロッパの基礎を築いたのはローマ帝国で、古代ギリシア - Wikipedia文明の継承者でもあり、エジプト文明、メソポタミア文明の影響も大きい。中国はシルクロードでローマと繋がっていた。ローマ帝国支配地域でなかった北欧やロシアは差別されていた。各文明は独立していたのではなく、密接に交流していたのだ。歴史認識は、大航海時代 - Wikipediaに作られ今もその歴史観から抜け出せないでいる。多くの人が住んでいたのに、アメリカ大陸発見・オーストラリア大陸の発見などと言う。黒人の見方もそうで、スペインの一部は黒人が国家を作っていたし、ローマ帝国には黒人の帝王もいた。北米にはバイキング(白人)の住居らしき後もある。
学術用語の基礎となっているラテン語は、ローマ帝国の言語を基にしている。
北欧の北のほうに住んでいるサーミ人 - Wikipedia(ラップと言って差別されてきた)はアイヌ - Wikipediaとも交流があったとされている。また、地球儀で見ればわかるが、直線ではヨーロッパと北米は結構近い。世界史で習ったことを見直し、世界観を整理し直す必要がありそうである。
オーストラリア大陸 - Wikipedia
バイキング、西暦1021年には北米定住 | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト (nikkeibp.co.jp)
ローマ帝国の独裁官カエサル(ガイウス・ユリウス・カエサル - Wikipedia)とエジプトのクレオパトラ(クレオパトラ7世 - Wikipedia)の話は有名だが、詳しく知る人は少ない。
この話の記録は少ないし、映画(クレオパトラ (1963年の映画) - Wikipedia)などは興行成績をよくするために史実に忠実でない。
地図を見ればわかるが、ヨーロッパは地中海(地中海 - Wikipedia)を挟んでアフリカと 隣り合っている。ジブラルタル海峡(ジブラルタル海峡 - Wikipedia)は14kmで、イギリスとフランスの間であるドーバー海峡が34kmである。だから、黒人がヨーロッパに来ていた歴史は古い。スペインにはイスラムの歴史もある。(地中海世界 - Wikipedia)
あなたが、そしてイギリス人も知らないかもしれないイギリスの黒人の歴史 - BBCニュース
黒人はいかにロシアに出現したか:「ピョートル大帝の黒人」が最初ではなかった - ロシア・ビヨンド (rbth.com)
ローマ帝国の支配地域は、最大ではヨーロッパとアフリカ・中近東に及ぶ。
ローマ帝国には黒人皇帝もいた。(セプティミウス・セウェルス - Wikipedia)
また、流浪の民であったユダヤ人はローマ帝国によって作られた。
イスラエル建国については
アラビアのロレンス|イギリスの謀略戦 (lets-bible.com)
「砂漠の英雄と百年の悲劇」 - 映像の世紀バタフライエフェクト - NHK
パレスチナ問題とは。 | ホンシェルジュ (honcierge.jp)
年 | できごと |
-494 | 伝説上のローマの建国(ローマ建国紀元 - Wikipedia) |
-451 | リキニウス‐セクスティウス法(リキニウス・セクスティウス法 - Wikipedia)の制定-451~-450 |
-450 | 王制(君主制)の廃止、共和政ローマ - Wikipedia樹立 |
-445 | 聖山事件(平民が蜂起し、護民官がおかれるようになる。)民主主義 |
-390 | 十二表法 - Wikipediaの成立(最初の成文法) |
-367 | ウェイイを陥落させる |
-343 | ケルト人の来襲 |
-343 | サムニウム戦争 - Wikipedia-343~-291 |
-340 | リキニウス・セクスティウス法 - Wikipedia(執政官のうち1人を平民から選ぶことになる) |
-340 | フィリッピの戦い - Wikipedia、ブルートゥス、カッシウスの敗死。三頭による属州分割-340~-338 |
-326 | 第1次サムニテウス戦争(~BC341)サムニウム戦争 - Wikipedia |
-318 | ラテン戦争=ラティウム戦争 - Wikipedia(~BC338) |
-312 | 第2次サムニテウス戦争(~BC304) |
-287 | この頃クラウディウス法が成立(元老院議員とその子に300アンフォラ以上の大型船の所有を禁じる) |
-287 | ラテン戦争 |
-280 | 第3次サムニテウス戦争(~BC290) |
-264 | シチリア島、サルデーニャ島、コルシカ島、属州となる-264~-241 |
-227 | ホルテンシウス法 - Wikipedia(平民会議決が元老院の承認無しに法律となることとなる) |
-218 | 第1次ポエニ戦争起こる(~BC241)ポエニ戦争 - Wikipedia |
-218 | 第二次ポエニ戦争、カンネーの戦い(B.C.216)、ザマの戦い(B.C.202)-218~-201 |
-215 | シチリアを属州とする |
-215 | 第一次マケドニア戦争 - Wikipedia-215~-205 |
-211 | カンネーの戦いでハンニバルに大敗 |
-201 | 最初のデナリウス - Wikipedia銀貨が発行される |
-200 | 第2次マケドニア戦争(~BC196) |
-192 | シリア王国のアンティオコス3世 (セレウコス朝) - Wikipediaと戦う-192~-189 |
-171 | ザマの戦いで大スキピオがハンニバルを破る |
-171 | 第3次マケドニア戦争 この戦争でローマの勢力が東地中海に広がる-171~-168 |
-149 | 第4次マケドニア戦争-149~-148 |
-146 | 新年の始まりがヤヌアリウス(現在のJanuary,1月)になる。 |
-146 | この変更のため月の名前が2つずれてしまい、現在に至る。 |
-135 | 第6月(Sextilis)の名がアウグストゥスの称号にちなんで、 Augustusと変えられる。-135~-132 |
-133 | 第3次ポエニ戦争 |
-129 | 第一次奴隷戦争 - Wikipedia |
-123 | ティベリウス・グラックス、護民官となる。ヌマンティア陥落し、スペインの戦争終わる |
-123 | 属州(プロウィンキア)アシア創設 |
-121 | ティベリウス・グラックス - Wikipedia護民官となり、土地問題の改革を目指すが元老院派に殺される |
-111 | ガイウス・グラックス - Wikipediaが護民官(~B.C.122)となり、諸改革にのりだす |
-107 | ガイウス・グラックスが元老院派に襲われて自殺 |
-91 | 同盟市戦争 - Wikipedia-91~-88 |
-88 | ユグルタ戦争 - Wikipedia(~B.C.105)。土地法公布 |
-88 | ミトリダテス戦争 - Wikipedia-88~-63 |
-82 | 同盟市戦争 - Wikipedia始まる |
-73 | 第2次ミトリダテス戦争(~BC82) |
-73 | カエサルの第1回コンスル職-73~-71 |
-70 | 第3次ミトリダテス戦争(~BC63) |
-60 | グナエウス・ポンペイウス - Wikipediaのユダヤ平定。キケロのコンスル職。カティリナの陰謀 |
-58 | マルクス・トゥッリウス・キケロ - Wikipediaが執政官になる。ルキウス・セルギウス・カティリナ - Wikipediaの陰謀。 |
-58 | 平民会=プレブス民会 - Wikipedia創設-58~-50 |
-49 | 第1回三頭政治 - Wikipedia(ポンペイウス、カエサル、マルクス・リキニウス・クラッスス - Wikipedia) |
-48 | カエサルのガリア戦争 - Wikipediaが始まる(~BC51) |
-45 | カエサル、ルビコン川 - Wikipediaを渡りローマに進軍 |
-44 | カエサルの独裁官 - Wikipedia(ディクタトル)就任(~B.C.44) |
-43 | この年から、1年を365日とし4年に一度閏日を加えることにした。(ユリウス暦) |
-42 | カエサルが終身独裁官になる。第5の月がカエサルの氏族名にちなんでIuliusと変えられる。 |
-42 | カエサルが暗殺される。 |
-32 | 第2次ポエニ戦争が終わり、ローマが西地中海の覇権を握る-32~31 |
-31 | 第二次三頭政治(アントニウス、レピドゥス、アウグストゥス)始まる |
-30 | フィリッピの戦い - Wikipedia |
-27 | アクティウムの海戦 - Wikipediaでオクタウィアヌスがアントニウスを破る |
-27 | ホルテンシウス法 - Wikipedia成る-27~+14 |
-8 | カヌレイウス法 - Wikipedia(貴族と平民の通婚が認められる) |
9 | アウグストゥス - Wikipediaがエジプトを征服 |
47 | ディオクレティアヌスの最高価格令47~55 |
64 | ネロ - Wikipedia 即位(~AD68) |
66 | ローマの大火。ネロ帝がキリスト教徒を迫害。 |
66 | 東ゴート人のテオドリック(大王)、イタリアに王国建設(~553)66~70 |
68 | ユダヤの反乱(~AD70) |
69 | アウグストゥスの元首政(プリンキパトゥス) |
69 | ガルバ 即位(~AD69) |
69 | パウロの伝道旅行69~96 |
79 | ユダヤ戦争 |
79 | オト 即位(~AD69) |
96 | ドミティアヌス 即位(~AD96) |
96 | 四皇帝(ガルバ、オットー、ウィテリウス、ウェスパシアヌス)の乱立96~180 |
98 | ネルウァ 即位(~AD98) 五賢帝時代の始まり |
101 | トラヤヌス 即位(~AD117)101~106 |
117 | フラウィウス朝期(ウェスパシアヌス、ティトゥス、ドミティアヌス) |
117 | マリウス、第1回コンスル職。兵制改革 |
122 | トラヤヌス帝がアルメニア、メソポタミアを併合し、ローマ帝国の版図が最大となる |
138 | ハドリアヌスの長城の建設 |
161 | この頃、マキャベリの「ローマ史論」が完成 |
180 | ギボンの「ローマ帝国衰亡史」が完成 |
193 | マルクス・アウレリウス帝死去(五賢帝時代の終わり) |
193 | トイトブルクの戦い193~235 |
212 | トラヤヌスのダキア遠征 |
212 | カラカラ 即位(~AD217) |
214 | アントニヌス勅法(帝国内の全自由民にローマ市民権を与える) |
217 | カラカラ帝、最初のアントニニアヌス貨発行。 |
218 | マクリヌス 即位(~AD218) |
222 | エラガバルス 即位(~AD222) |
235 | セウェルス・アレクサンデル 即位(~AD235) |
235 | 帝国の版図最大となる235~284 |
238 | マクシミヌス・トラクス 即位(~AD238) 軍人皇帝時代の始まり |
244 | ゴルディアヌス1世2世 即位(~AD238) |
249 | フィリップス・アラプス 即位(~AD249) |
250 | セウェルス朝期 |
251 | デキウス帝によるキリスト教徒の迫害 |
253 | トレボニアヌス・ガルス 即位(~AD253) |
260 | アエミリアヌス 即位(~AD253) |
268 | ウァレリアヌス帝がペルシャ王シャープール1世に捕らえられる |
270 | ウィクトリヌス(ガリア皇帝) 即位(~AD270) |
275 | テトリクス1世(ガリア皇帝) 即位(~AD273) |
276 | タキトゥス 即位(~AD276) |
282 | フロリアヌス 即位(~AD276) |
283 | カルス 即位(~AD283) |
284 | デキウス帝のキリスト教徒迫害 |
284 | ヌメリアヌス 即位(~AD284) |
286 | ディオクレティアヌス 即位(~AD305) |
293 | ウァレリアヌス、ペルシア人に捕らわれる |
294 | マクシミアヌス 即位(~AD305) |
301 | ディオクレティアヌス即位、専制君主制始まる。大規模な貨幣制度改訂伝説上のローマの建国 帝国の4分割統。 |
303 | ディオクレティアヌス帝の最高価格令 |
305 | 最後のキリスト教大迫害が始まる |
306 | コンスタンティウス1世 即位(~AD306) |
306 | カラカラ勅令306~337 |
308 | セウェルス2世 即位(~AD307) |
310 | リキニウス 即位(~AD324) |
311 | このころソリドゥス金貨の発行が始まる |
312 | 帝国四分統治制始まる |
313 | コンスタンティヌス(大帝)の統治 |
313 | ガレリウス帝の寛容令(キリスト教徒の迫害をやめる) |
324 | ミラノの勅令(キリスト教徒にも信仰の自由を認める) |
325 | コンスタンティヌス大帝、共治帝リキニウスを倒し、ローマ帝国の再統一を実現 |
330 | ミラノ勅令 |
330 | ニカイア公会議(キリスト教の教義を統一) |
337 | コンスタンティヌス大帝、都をビザンティウムに移し、コンスタンティノポリスと名を改める |
360 | コンスタンティヌス2世 即位(~AD340) |
361 | 第1回ニカイア公会議 |
363 | ユリアヌス 即位(~AD363) |
364 | ヨウィアヌス 即位(~AD364) |
367 | ウァレンティニアヌス1世 即位(~AD375) |
375 | 新首都コンスタンティノープルを設ける |
375 | カリグラ 即位(~AD41) |
376 | ウァレンティニアヌス2世 即位(~AD392) |
378 | ユリアヌス即位、異教復興を図る |
378 | 西ゴート族の移住(ゲルマン民族の大移動始まる) |
379 | ハドリアノポリスの戦いでウァレンス帝が西ゴート族に破れる |
391 | テオドシウス 即位(~AD395) |
392 | このころ、ゲルマンの民族大移動開始 |
392 | テオドシウス大帝がキリスト教を国教化する |
395 | アドリアノープルの戦い |
395 | エウゲニウス 即位(~AD394) |
408 | テオドシウス帝死去、ローマ帝国の東西分裂 |
410 | テオドシウス1世、キリスト教を国教とする |
410 | クラウディウス 即位(~AD54) |
425 | 西ゴート王アラリックのローマ占領 |
429 | テオドシウス1世の死、帝国東西に分裂 |
429 | ウァレンティニアヌス3世(西) 即位(~AD455) |
450 | テオドシウス法典の編纂(~438) |
451 | ローマ、西ゴート人のアラリックに占領される |
452 | 『テオドシウス法典』編纂(へんさん)始まる(~438) |
452 | マルキアヌス(東) 即位(~AD457) |
455 | カタラウヌムの戦い |
455 | フン族の王アッティラのイタリア侵入 |
457 | ヴァンダル族のローマ占領 |
461 | マヨリアヌス(西) 即位(~AD461) |
467 | セウェルス3世(西) 即位(~AD465) |
472 | アンテミウス(西) 即位(~AD472) |
473 | オリブリウス(西) 即位(~AD472) |
474 | グリケリウス(西) 即位(~AD474) |
475 | ユリウス・ネポス(西) 即位(~AD475) |
476 | アッティラ、イタリアに侵入 |
476 | ロムルス・アウグストゥルス(最後の西ローマ皇帝) 即位(~AD476) |
481 | バンダル人のガイセリックのローマ占領 |
493 | ゲルマン人の傭兵隊長オドアケル、西ローマ帝国を滅ぼす |
527 | ユリウス・ネポス殺害(西の皇統断絶) |
527 | ビザンティン帝国(東ローマ帝国)滅亡527~565 |
527 | ユリウス・クラウディウス家(ティベリウス、ガイウス、クラウディウス1世、ネロ)の治世527~565 |
528 | フランク王国のクロービス1世即位 |
529 | ユスティニアヌスが東ローマ皇帝に即位 |
532 | ユスティニアヌス1世の治世 |
867 | 『ローマ法大全』の編纂始まる(~534) |
962 | ニカの乱 |
1204 | 東西教会の分裂 |
1453 | 神聖ローマ帝国の成立(~1806) |
1453 | アウグストゥス死去 |
1519 | 東ローマ帝国の滅亡 |
1734 | マルクス・アウレリウス 即位(~AD180) |
1788 | モンテスキューの「ローマ人盛衰原因論」出版 |
138 | アントニヌス・ピウス - Wikipedia 即位(~AD161) |
193 | ペルティナクス 即位(~AD193)3ヶ月で死亡 |
375 | グラティアヌス - Wikipedia 即位(~AD383) |
408 | テオドシウス2世(東) 即位(~AD450) |
529 | ローマ法大全の編纂(~533) |
79 | ヴェスピオ火山の噴火,ポンペイの埋没 |
96 | 五賢帝 – Wikipedia 始まる~180(ネルウァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス、マルクス・アウレリウス)時代14~68 |