改めまして、木村千晴と申します。

看護師やってかれこれ23年、ほぼ急性期病院の病棟看護師でした。治療が終わって元気になって生活に戻る方がほとんどでした。急性期病院なのでね、役割としては当然ですね。

 

しかしそうでない方も当然いる訳で。特に、超高齢社会の近年はしばしば、「こんなはずではなかった」と悔しい悲しい思いをしておられる方も少なくないです。更にそういう方の多くは、家に戻れません。

 

その背景として、

「必要かどうか怪しい入院」と

「必要のない絶食」は

確実に大部分を占めてます。

 

日本て、今まで「国民が皆長生きできる」ようにがむしゃらにがんばってきました。清潔にして新生児が感染症で亡くならないように、医療を高度化してあらゆる年代の人が生きられるように。良い悪いではなく、がんばってきたんです。すごい事だと思います。

 

ただ、結果として、「超高齢社会」にどの国より早いスピードでなりました。それ自体が悪いことではなく、「長生きできる」ことが当然で「最期の時がかならず来る」ことは遥か彼方の出来事となってる。「そんな遠いこと今考えなくても良い」と思ってる事が、生活を辛くしている大きな要因だと思います。

 

そのあおりをモロに喰らっているのが、加齢で食べられなくなってきてる人です。医者から「誤嚥したんで食事はもう食べられません。食べさせたら死にますよ」と言われたり、家族から「前みたいにご飯食べられるようにならないと家に帰ってこられたら困る」って言われたり。ほんとに、よく見かけていました。

 

「前みたいに食べる」って、どういう事なんだろう。若い人だって、元気でモリモリご飯食べられる時、体がしんどい時や病気で食べられない時、あったはずなのに。

若い時は「食事は生活の一部」で、年取ると「食事が医療の一部」にシフトされやすい、そんな日本の風潮。

 

でもね、食事は「生活」です。生命維持としての食事の役割と、社会的な食事の役割と、どっちも大事です。とくに「幸せ」とか「繋がり」とか「思い出」とかの感情って、ご飯食べてる時にすごく感じるでしょ。そういうことって、やっぱり大切にしたい。

 

どんな人でも、一度は最期の時というイベントを経験します。その時に、たった一口でも良いから食べて、一緒にいる人と「美味しいね」「幸せだね」って言い合えたら、それでもう、幸せなんじゃないかなと思うわけです。私は、そんな幸せを叶えたいと思うわけです。

 

 

これは私の意思表明。

食支援活動の名刺代わりに投稿します。

 

活動内容は、

①食支援の場面での、モヤッとしたことやウルッとしたことを、

②ケア提供や多職種連携をしたことから食支援のヒントになるような文章を、

③2週に一回程度のペースでお届けします。

読んでいただけたら幸いです😊💕

 

 

 

 

(以下、自己紹介?役割紹介?です)

母、娘、姉、厚木市住民、自治会メンバー、元病棟看護師、今訪問看護兼施設看護師、食支援同好会メンバー、日本摂食嚥下リハビリテーション学会認定士、日本認知症ケア学会認定士、口から食べる幸せを守る会会員、沖縄空手&古武道稽古生、己書稽古生、発信力講座稽古生、などなど。