安禄山((あんろくざん)七〇五年から七五七年。
節度使(役職)
安史の乱(七五五年から七六三年)
宰相、楊国忠らと対立。七五五年、安禄山、史思明が起こした乱。玄宗を退位させた。
翌年、皇帝と称し国号を大燕とした。洛陽、長安を占領したが、次男、慶緒(けいしょ)に殺されます。
史思明が安禄山にかわり皇帝になります。安禄山を殺した安慶緒を七五九年に殺します。
史思明は愛妾の子、史朝清をかわいがります。長子、朝義は反発し七六一年史思明を殺してしまうのです。その史朝義も七六三年に鎮圧のため遊牧国家、ウイグルの援助を得て殺されます。
これで安史の乱は終わりになります。
有名と言うことでしたが、わたしは安禄山も安史の乱も知りませんでした。ので調べました。
安禄山が死んだのになぜ七六三年まで鎮圧に時間がかかったのかと思いまた調べました。
この時代も子が親を殺すのですね。