次は、宮津の神社の確認をすることにしました。
京都の宮津の如願寺に家のルーツを確かめに行った時、隣の神社にも参拝させて頂いたのですが、お寺とお墓参りが目的だったので、神社の名前も憶えていません。
神仏混淆(こんこう)の時代、調べれば直ぐ分かるだろうと調べてみました。
そう、確かに直ぐ分かったのです。
宮津市のホームページを開けると直ぐに
【古代宮津の産土神が起源! 宮津城下最古の神域「山王宮日吉神社」】と・・・。
やっぱり !!
「予期せぬ繋がり #1」に書きましたが、謝りに行けと言われた神社は「日枝神社」でした。
音で聞いたので、「日枝神社」と書いたのですが、日吉・日枝と漢字は異なりますが、元の和音はヒエであり、比叡山とも重なるようです。つまり、同一の神社!
『最古の神域 とはねぇ・・・。』
「山王宮日吉神社」という事は、山王信仰。
猿は御祭神「大山咋神」の使いで、山王には「三猿の教え」があり、猿を「正しい、秀でた、真実のこもった」という意味から、「神猿」と書いて「まさる」と呼ぶようです。「まさる」の語呂が、「まさる」→「勝る」→「魔去る」と転じて、魔除けや厄除け、守護の神とされているそうです。
という事は、あの時の鴉天狗の様な猿は、この神社の「神猿」だったということ !?
私は、その「神猿」に向かって「人間の気持ちも分からないのなら、さっさと消えて!」と言った訳ですよね・・・。💦💦
宮津に謝りに行こう・・。
さて、調べたついでに。
「山王宮日吉神社」の境内には、「杉末神社」と言う神社があります。「杉末神社」は遙か昔、宮津の地に人々が住み始めた頃に、人々の守り神として祀られた産土(うぶすな)の神だそうです。つまり宮津の地の守り神であったわけで、山王の神はその神域に平安時代中頃に末社として迎えられたようです。(つまり、四つ足食べた事件は、平安中期以降の事になります。)
因みに、宮津という地名は宮(神社)のある津(船の着くところ)という意味で、奈良時代・平城宮跡の木社記によると、敏達(びだつ)天皇元年(572)にこの地に鎮座した簡に記された地名で、この「宮津」という地名は奈良時代には既に使われていたようです。EMI