真・善・美 宇宙真理の 法則を 

                   求め共鳴 書画は鳴りけり

 

  宇宙の創造は、37億年の超太古から今この瞬間も行われているという。これは宇宙に意志があって、故に創造が絶えず行われているということは、科学者も認めざるを得ないそうだ。

 この宇宙意志を別の言葉で表現したのが真・善・美であると考えるのが、山本流である。

この意味については、「人間の理想である、真と善と美。それぞれ、学問・道徳・芸術の追求目標といえる、三つの大きな価値概念。」と辞書には出ている。

 

要するに真・善・美は、学問、道徳、芸術の究極を追及するという価値概念という。それならば絶対的な法則と言える宇宙が、ある意志によって動き連動しているとすれば、その自然法則を創り動かしている「意志」とは何者の意志なのかを追求し続けるのが、学者であり(学問)、哲学者、宗教家(道徳)であり、芸術家であろうと思うのだ。

幸か不幸か、これまで山本が40年間関わらせて頂いているのは、合気道という武道芸術であり、呼吸書法という、宇宙自然の法則の追求である。合気道が武道芸術であるとのことについては、項を改めて書かせて頂くとして、「書の美」を通じて自然法則の追求とは、について述べてみたい。

 

書家は書美の追求を目指すという。書とか文字は芸術になり得るのか、と長い間論争されていた。書道や習字は日本の大衆によって支えられて来たと言われながら、学校教育にもまだ定着していない。書道展などを見て「感動した」などの言葉は、実は書かれた言葉に感動したと言うことの方が多いようだ。

 

「いろは・ひふみ呼吸書法」は「いろは歌」と「ひふみ祝詞」といわれる高尚な意味内容を書くのではないので、上のような感動はあり得ない。単に48文字の平仮名を音読しながら書くだけである。それ故に上手いも下手もない。それでは書や美としての価値はどこにある?と問われても、答えようがない。

 にも拘わらず、入会以来1年足らずで1万枚書いたとか、3年ほどで4万枚書いたとか言われる会員さんもおられるのだ。一体何がそうさせるのか。何が楽しいのか、何に喜びがあるのか?

 

書は人なりという。人の性格、人格、品格がこの書法で変わるのだ。書の技術も当然ながら、書線が変わり、心身の健康状態が変わり、家族関係や環境が自然に改善されてしまう。

理由はまだ科学的には解明できていない。確信として思われるのは、日本独特の「言霊」の力によるもので、不可思議としか言いようがない。会員諸氏に起こった多くの経験的事実しかないのだ。

通常の言葉は、発する人の感情が入る。ところが、いろは、ひふみ48音は、言葉として解釈(感情)を入れずに、言霊音として発声する。すると「神は言葉なり、全てのもはこれによって出来た」(聖書)の真理の如く、宇宙神と共鳴を起こす故に、心身ともに神と共振を起こし、肉体も精神も清まるのである。

科学では証明されていないが、まさに超自然現象なのである。

 宇宙は日々刻々と意志()が真・善・美を進化させ創造されていく。この御意志に対して、真・善・美の進化創造に参画する意思をもって生きることこそが、芸術活動であり、与えられた生命活動の原点ではないだろうか。    感謝・感動・歓喜をもって今日も生きよう。