随神(かんながら) 日本の心 大宇宙 

                                                自然に任せ 世界導く

 

かつて、合気道開祖・植芝盛平翁は稽古の始まる前に、道場の上座に向かって、大きく朗々と祝詞を奏上して稽古に入った。入門間もない山本は、その祝詞の最後の「随神魂ちはえませ」の意味が分からなかった。後に「神様の御心のままに導き給え・・・」という意味だと知った。日本太古から神官が神に向かって奏上していた言葉である。

 

確かに開祖の稽古は全てが自然の動きで、殆ど体に触れることなく相手は倒されていく。

「わしが歩けば合気道じゃ」「合気道は愛じゃ」の言葉は実際にはなかなか理解が出来なかったのが本音であった。

 

今、いろは・ひふみ呼吸書法を実践して見て、やっとその教えが分かって来た。

随神(かんながら)の書法であることに気付かせられたのだ。随神とは「神さながら」の生き方が望まれる。それには心身ともに清まっていなければ存在し得ない。とすれば曇り多い人間としては、どうしても心身(魂)共に清まらなければならず、それには禊(みそぎ)=浄め祓いとしての病気とか怪我とか不幸現象などが起こる。これ等の現象が起こった時の想いが「浄められてありがたい」と思うか「何故私だけがこんな不幸なのか」と思って、神仏や世の中に対して、恨みや妬みの想いを持つのかで、人生の結果が変わってくるのは理の当然である。

 

 呼吸書法はこの病気や不幸現象の「禊」を受けずに、自らの心身(魂)を積極的に浄化し、心身の活性化を推進しつつ、不思議な健康法としての書法であると言える。

 

それ故に「随神に始まり、随神に終わる、禊技の書法である」と確信している。

呼吸書法の教典とも言うべきものは、偉大なる天地自然であって、宇宙空間にみなぎる言霊のエネルギーと、人間の音声との共鳴により、それぞれ各自の心身細胞が共振を起こし、眠れる30億の遺伝子情報が目覚めて、教典としての叡智を得るのである。

 

この叡智をもって日本人の魂の意味を知り、世の為人の為の自らの使命を知り、それぞれ社会に貢献、奉仕して、日本国の文化の発展のため、延いては世界の平和に貢献することが、この「いろは・ひふみ呼吸書法」が降ろされた本意であると考えている。

 

そして、これが合氣道開祖・植芝盛平翁と、合気道に対してのご恩返しでもある。

 

感謝、感動、歓喜。