きみがよの 歌は八千代に 栄えあれ 

                                石長媛の 永遠の祈りぞ

 

 平成2471日、伊豆半島の雲見浅間神社に参拝する登山中、しきりに口から出た言葉「お許しください、お許しください・・・」が、どの様な意味があったのかについては、当時の書論レポートに書いた。

 

古事記の日本神話によれば、石長媛(いわながひめ)と木花開耶姫(このはなさくやひめ)の父神・大山祇神(おおやまつみのかみ)が、天祖の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に姉妹の媛神を献上されたが、姉神、石長媛の容姿が醜かったために返されたという話。

 

それ以降の日本歴史の中から石長媛の御名が見えなくなり、日本国民の意識からも消えてしまっていることに山本の心()が、頻りにお詫びしたことと、後で知ることになった。と同時に、大変なご無礼をしてきたのではないかと感じたのだった。

 

それは、古事記の石長媛に対する記述が間違っていたのではないか。石長媛の姿が(醜かった)というのは、古事記編纂の時、稗田阿礼が誦習したのを太安万侶が筆録した時に、聞き違えたか、書き間違えてか、(石長媛のお姿があまりにも美しく光輝いていたために)「みえにくかった」と言ったのを、太安万侶が「みにくかった」と書いたのではないか、と言うことに気付かせられたのだった。

 

この様なことは今では確かめようもないが、地球の基と日本列島の地表である岩盤を守護し、日本の皇室の永遠を祈り、日本民族の生命の永続を、八千代に守られようとされている女神様に対して、あまりにもご無礼至極ではないか。

 

そして、お詫びをし終わってから、御神体である大きな岩山を清めさせて頂いた時、頭上で数十羽のイワツバメが3回にわたって群舞し、吾が想いの間違いではないことをT女史(常に霊覚的に教えを頂いている)に、石長媛様の御喜びをお示しくださった御徴ですとのことを教えられたのだ。

 

今、令和の時代を迎え、そこここで「きみがよ」を聞くたびに、畏れ多くも岩長媛様を懐かしく思い出すのである。