支那大陸では、かつて民主国家が生まれたことはない(いわゆる「尭舜の時代」はここでは取り上げない)。

 

 2019年の今日でも、香港のデモの強烈な弾圧、ウイグルでの民族虐殺浄化、チベットでの虐殺弾圧、内モンゴルでの激しい弾圧、民主活動家に対するおぞましいほどの人権弾圧を、なんの恥じらいもなく当然のこととしておこなっているのが、中華人民共和国である。

 

 どこが「共和国」なのか意味がわからないが。

 

 このブログでも再三再四指摘しているように、アフリカ諸国、中南米諸国、中東諸国、東欧諸国、東南アジア諸国、ロシア、インドなど、表面的には民主国家の体をなしているが実態を見れば完全に独裁体制であるか、あるいは治安が極度に悪い、あるいは腐敗が横行している国が、地球上には圧倒的多数で存在する。

 そういう国では、内戦、内乱、恐怖政治、あるいは極度に治安が悪い状態が通常のものとして見られる。

 

 こうした状況の原因を考えるとき、従来は主に経済の問題を中心に分析、解析しようとする傾向が強い。

 

 もちろん、お金の問題は重要で、経済がこうした社会体制に大きく影響することは当然である。

 

 しかし、筆者はその経済よりもさらに社会に大きな影響を与えるものとして、「文化」を見ている。

 

 例えば災害が起きたとき、関東大震災のときもそうだし、東日本大震災のときもそうだが、略奪強盗を始めた日本人は一人もいない。(ただ東日本大震災のときに多発したが、避難した人々の空き家を狙った空き巣が頻発したことはある。これが日本人による犯行だったかどうかは確認が必要であるが。)

 

 これは災害が起きるたびに諸外国から指摘されることであるが、こうした災害が起きた後は略奪強盗が起きることが当たり前で、これは先進国と言われる北米や欧州でも当然起こり得るものとしてみられているし、発展途上国であれば間違いなく発生する。

 

 もちろん、日本においても戦国時代などはこうしたことは普通に起きたが近代、近現代にはいってからは特に、まずもって見られないことである。

 

 これはすべて、「文化」である。

 

 一方で、日本では、こうした、ある意味協調性を重んじる文化を逆手に取った犯罪(電話での詐欺)などが横行したりするが、これは日本文化のもつある種の副作用であると筆者は観察してる。

 ブラック企業のパワハラ文化もまた、同様に、日本文化の副作用であるが、こうした副作用には多分に大陸半島から流入した「朱子学」の悪影響があるとも考えられる。

 

 いずれにせよ、日本や欧米では民主主義がある程度発達し、先に挙げた発展途上の国々ではそれがそだたないのは、長い時間をかけて築かれてきた伝統、文化にその原因があるのは間違いない。

 

 同じような状況であっても、A国では暴動となり、B国では議論となり、C国では協調的な話し合いとなる、という違いがおきるのは、金のあるなしでは説明はつかないからである。

 

 文化の、社会に与える影響のいかに大きいことか。

 

 今回もお読みいただき、ありがとうございます。