韓国との関係がレーダー照射を巡ってヒートアップしているが、韓国のことをあまり知らない人々が多い中ではそうした人たちにとっては韓国の実態を客観的に認識するには非常に有効な機会となるのではないだろうか。

 

 こうしたことから、韓国側の主張する、いわゆる「徴用工」や「慰安婦」の問題に関しても、これまで関心を払わなかった日本人が注目するようになれば、今後のより冷静な日韓関係の構築に繋がることになるとも思われる。

 

 以前の記事にも書いたことがあるが、韓国は儒教の国である。中国、韓国、ベトナムの三ヶ国は儒教文化圏であるが、この儒教文化においてもっとも大切なものの一つは、何をおいても「面子(メンツ)」である。彼らはこのメンツを守るためであれば、嘘だろうがなんだろうが一切躊躇しない。

 

 実はこの点が日本文化と大きく異なる明白な違いなのである。

 

 日本においては、メンツを保つことはもちろん大切であるが、そのために嘘をつけばもはや取り返しがつかない事になる。なぜならば、日本文化においては嘘をつくことは最も「メンツを潰すこと」になるからである。ゆえに日本文化においては嘘をつくことなくメンツを保つべく客観的事実を大切にする。

 

 一方の韓国などの儒教文化においては、メンツを保つためには「どんな嘘でも平気でつく」ことが当たり前である。メンツを保つためには嘘をついて客観的事実を歪曲することなど当然の話である。つまり、「嘘をついてでもメンツを保てればそれでいい」という考え方なのである。

 

 もう一度整理しよう。以下の項目をご覧いただきたい。

 

  •  日本:嘘をつくことはメンツを潰すことになるので、客観的事実を大切にして主張する
  •  韓国:メンツを保つためにはいかなる手段を取ることも厭わないので、平気で嘘を尽くし客観的事実を歪曲して主張する
 以上は完全に客観的な観察による事実であることはお分りいただけると思う。
 
 韓国では嘘をつくことは恥ではなく最終的に面子が潰れることが恥であり、日本ではメンツを保つために嘘をつくこと自体が恥なのである。
 
 筆者は別に極論を言う気はさらさらないし、韓国や中国と何が何でも仲良くするなという話をする気は毛頭ない。単純に、上記のような客観的な事実や違いを正確に認識した上で、隣人であるかれらとどのような関係を構築していくかを冷静に分析しなければいけないと、主観的に提案しているだけである。相手のことを知らずにお付き合いをすることなど、個人の関係を見ても明らかに不可能であることは誰しも納得されることであろう。
 
 嘘をつくことを全然躊躇しない人たちと、嘘をつくことを恥と考える人たちが交流するときは、嘘をつくことを恥とする人たちはそれなりに注意をしないと実害を受ける可能性が高いですよと分析しているわけである。
 
 文化というのは長い歴史をかけて構築されてきたものである。一朝一夕に変更できるものではない。またどの文化が良くてどの文化が悪いのかも、それぞれの主観的な価値観によるものなので決めることなどできない。
 
 主観は個人に属し、客観は万人に属するのである。
 
 このブログの趣旨である「主観ではなく客観を求めて」というところから、筆者はまず、客観的事実を厳粛に受け止めるところから始めようと提案する。その上で、主観的な意見をもつべきではないであろうか。嘘に基づいた判断(主観)は、身を誤らせることにつながる。
 
 今回もお読みいただき、ありがとうございます。