私は、中2の1学期で転校しているが、その送別の席に牧師であった父が来て、クラスの子全員に新約聖書を配ったということがあった。事前に何の相談もなかった。性格的に、いかにも父のやりそうなことだった。
私は、幼稚園からずっとイジメられっ子だったが、中学に入ってからが1番酷かった。それは当然親の耳にも入っていた。しかし、父はそういうこととは別に、牧師としての信念を貫こうとしたのだろう。だが、私個人は仲のいい子もなく、皆との別れが名残惜しいなんて気持ちは微塵もなかった。ただただ、イジメから逃れられるのでホッとしていただけだった。イジメたことを謝罪した子は、いなかった。
そんな中で、父のやったことを複雑な思いで見ているしかなかった。牧師としての信念を貫けば、それは必ず人のためになると信じていた父が間違っていたというのではない。
では、父として娘の気持ちを慮ったかというと大いに疑問があるし、聖書を渡された生徒たちがどう受け止めたか、その後の人生に生かされたかどうか。信じたいが。
父は昨年の秋、天国の住人となった。かつて自分をイジメた人間たちの顔も、恨みはないが、正直、2度と見たくはない。蟠りは今もある。
私は、幼稚園からずっとイジメられっ子だったが、中学に入ってからが1番酷かった。それは当然親の耳にも入っていた。しかし、父はそういうこととは別に、牧師としての信念を貫こうとしたのだろう。だが、私個人は仲のいい子もなく、皆との別れが名残惜しいなんて気持ちは微塵もなかった。ただただ、イジメから逃れられるのでホッとしていただけだった。イジメたことを謝罪した子は、いなかった。
そんな中で、父のやったことを複雑な思いで見ているしかなかった。牧師としての信念を貫けば、それは必ず人のためになると信じていた父が間違っていたというのではない。
では、父として娘の気持ちを慮ったかというと大いに疑問があるし、聖書を渡された生徒たちがどう受け止めたか、その後の人生に生かされたかどうか。信じたいが。
父は昨年の秋、天国の住人となった。かつて自分をイジメた人間たちの顔も、恨みはないが、正直、2度と見たくはない。蟠りは今もある。