20年程前、ある田舎町で、母方の祖母と2人で暮らしていたとき、小太郎という雄の白猫を飼っていた。穏やかで人懐こい性格で、来客の多い家だったが、よきマスコットぶりを発揮していた。
家にはよく、カトリックのブラザーやシスターたちが訪ねてきた。彼らは、あるときは1人で静かに祈るためにも来た。彼らのために、農家で使わなくなった、畳3畳程の小屋を借りていた。山の中で蛇も出るような所だったが、シスター1人でも、そこに泊まって祈っていた。
私と祖母は、来客があると、よくその方面へ一緒に散歩をしていた。その日も、訪ねてきたシスターたちと一緒に、小屋で祈るために歩き出すと、小太郎もついてきた。小太郎は、人の散歩についてくるのが、大好きな猫だった。
小屋に着き、私たちが中に入って祈り始めると、小太郎も入ってきて、お祈りが終わるまで、皆のそばに座って、じっと目をつぶっていた。お祈りが終わると、シスターたちは、「この猫は、ちゃんとお祈りにあずかってたわ」と感心していた。小太郎が、本当にお祈りに参加してたかどうかは、わからない。でも、私たちと同じ空気の中で、何かを感じていたのは確かだ。
昨年の父の葬儀に来てくれた人の中に、私たち家族と40年近いお付き合いのある絵かきの男性がいた。教会には、人一倍真面目で信仰に入りたいと願う人から、教会では何をしても許されると思っている人、どうでもいい質問をしてくる人、珍説を引っ提げてきて居座る人等、実に様々な人々が訪ねて来る。
ちらかして、布団に嘔吐したまま帰って行った人、お金を騙し取った人、血液は腸で造られていると言い張る人、嫌な思いをさせられることの方が多かった。
しかしこの方だけは違った。彼は現在は外国で個展が展けるほどの実力派だが、我が家を訪ねて来たときは、本格的に絵かきになる前の20代で、全国を一宿一飯の恩義を求めて行脚している途中だった。クリスチャンではない。
彼は帰り際に丁寧に礼を言って去り、布団も綺麗に畳まれ、後にはゴミ一つ落ちていなかった。実に爽やかだった。そういう印象を残して、我が家を去って行った人は、後にも先にも彼一人であった。それから、年賀状等のやり取り、奥様を連れて訪ねてきてくれたり、作品をくださったりという交流が始まった。
彼は、初めて見たキリスト教式の葬儀で、明るく故人を送る様子が、とても新鮮でよかったという感想をくれた。