こんにちは!

中尾弥生です。

 

埼玉県狭山市の自宅サロンで

ヒプノセラピー(催眠療法)と

お名前から読むオリジナルサイキックリーディングのセッションをしております。

 

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娘の手が、年を重ねていました。

 

齢30を迎えた娘です。

大人の手になっていくのは、

至極、当たり前のこと。

わかっています。

わかっていますが、

少なからずショックでした。

 

 

ほんのちょっと、カサついてるだけ。

一人暮らししていたら、

そりゃ、

手だってカサつくさ。

 

 

そうは思っても、

なんだか見てはいけないものを

見てしまったような、

そんな気持ちになったのです。

 

 

毎日

顔を合わせていた、あの頃みたいに、

娘のことを見守ることはできません。

(↑娘は、全く望んでいない)

 

小さい頃のように

ぎゅって抱きしめてあげることもできません。

(↑もちろん娘は、望んでいない)

 

 

旅行や買い物に出かけた時は、

「私が払うよ」

と、男前に奢ってくれる娘。

 

もたついている私に

「こっちだよ」

と、先を歩いてくれる娘。

 

もはや、立場は逆転。

私の手なんぞ、必要ないのだ。

 

わかっている。

わかっているのだが、

何かしてあげたいっ‼︎

何かしてあげたいのだっ‼︎

 




 

「歩き疲れたでしょ?

足揉んであげるよ‼︎」

 

旅行2日目。

歩き疲れて浮腫んだ足をマッサージ。

 

久しぶりに

娘の足をマッサージしながら、

たわいのない話。

 

マッサージしながらだと

娘の緩み方が違うのです。

 

娘にとって

私の手は、

もう必要なくなりました。

 

 

でもね

時々

こんな風にマッサージをしながら、

あーだこーだ話す時間は、

娘が、私の手を必要としていたあの頃に

時間を戻してくれるように感じるのです。

 

 

会社の愚痴とか

友だちのこととか、

楽しそうに話している娘。

だけど、

本当にしんどいことは、

親には話さないってことも

わかっています。

 

だからこそ、

せめて、

時々のマッサージが、

娘の慰めとなりますように。

 

 

手が離れた娘のことは、

ただただ

祈ることしかできなくなりました。

 

元気でありますように。

幸せでありますように。

 

 

そう、

祈れる今を迎えられたことは、

もしかしたら

奇跡なのかもしれません。

 

誰もができるようなこと、

当たり前を

当たり前に迎えられた日々こそ、

有難いことの積み重ねの先に在る日々なのだと、感じています。

 

今までの日々、ありがとう。

これから先も、ありがとう。

 

 

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