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そうなのそうなの。
そういうこと言いたかったの。。。
~女性が変われば世界は変わる。~
恋愛もののいい歌は、世に溢れてる。あえて作らんでいい。
私は一日に一番長く台所に立つ主婦や女性・母親達に
力を与えられるような歌を作って残していくことを目標にしています。
女性が元気であれば
家庭は明るい
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私の大それたテーマも
捨てたもんじゃないな、と実感。。。
こんなに凄い偉人にはまだまだ程遠いけども
私も死ぬときに
母は偉大な人だったと息子に言われる人間になってたいな。
て思った
偉い人のお話を紹介
土光敏夫さんの
お母様は凄い火種をもった人なんだな。
たまたま主人が読んでた本をパラパラと斜め読み
自分にも落とし込みたい土光さんの母親について書かれた文章が載っていました。
以下本文より抜粋
******************
昭和12、3年頃からかと思う。当時の信仰のない女子教育に不満をもつようになって、それを口にするようになった。そしてだんだん女学校を創る決心に移っていったようである。
~省略~
しかも母はその時70歳を越していたのである。
そして女学校
橘学苑を創立し、晩年を女子教育に捧げたということは、母の一生の強い信念がここに実を結んだといえよう。
母は本当に信念の人であった。
~一部省略~
まわりに無茶な話と言われても登美(土光さんの母親)は譲らなかった。
『子供を育てるのは母親。女子教育をしっかりやることが国をつくる基礎になる』と考えて、学校建設にこだわった。
『どんなに偉い人でも、赤ちゃんの時はみんな、母に抱かれて乳を吸って育ちます。そのとき母親が、我が子に、豊かで優しい心が育つように接したら、正しい知恵を働かせる人を世に送ることになるでしょう。だから女子教育をしたいのです。』
そこで登美は独力で働き始めた。出身地の岡山では、知人や親類の家などを回り建設の資金集めに紛争。
『もし私が亡くなってから香典を下さるおつもりならば、生きてるうちに下さい』
と触れてまわったという。
また、土地を確保するため、地主や小作の家も訪れた。朝、昼、晩と直接会って説得し、26人と交渉。契約を含めると、一万坪程を手にいれた。
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カッコエエ
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熱い
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香典くれるおつもりなら・・・
こんな
意気込みみせられたら
誰もが心動く・・・
書きながら
凄すぎて、魂が震えた
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