日暮里駅の下りホームは高架になっていた。
ライナー券を渋り、今回は特急で帰る。大きな荷物を持った人が目立つ。渡航シーズンだから、珍しくもないが。
電車が来た。アルミ色をしている。昔はよく乗った京成電車だ。
帰りの電車の中、僕はいつも窓の外の景色を眺める。
江戸川を越え、船橋辺りまでは街中でゴタゴタしているが、津田沼から先は郊外になり、佐倉の少し手前からは田園と湖沼、気づくと門前町、成田の駅に僕は降りていた。佐倉にも家はあるが、今日は成田の方に行く。

通り(参拝道)には何故かうなぎ屋が多い。どれも普通の蒲焼き屋なのだが。
仁王門(成田山の正門)を過ぎてすぐ、祖母の姉がやっているお土産屋がある。そこに祖母もいる。羊羮を主に扱っている。いつも、そこから車で帰る。

かなり、久しぶりだ。みんな元気そうで何より。全員僕に対して子供の時みたいに話すけれど、気にしない。馴染みの場所は概して落ち着くものだ。
永劫回帰。聞き慣れない言葉だ。ご存知の方も多いだろうが、この言葉はニーチェの思想の片輪をなす。もう片方は超人思想と呼ばれるもの。こっちは後日言及することとして、今日は「永劫回帰」、つまり、「世の中は永遠に同じことを繰り返していくということ」について、考えてみたい。
よく言われることだが、聖書には、世の中には始まりと終わりがあるという記述があり、その為西洋人の人生観・死生観は一方向的、死んだら、霊魂は最後の審判を待つだけ。
対して、東洋の思想は古代インド以来、輪廻転生、生まれ変わりであって、死生観は循環的である。

近代に活躍したニーチェの思想は、極めて東洋的であり、彼は「神は死んだ」。と主張してキリスト教における道徳悪を公然と批判したことで有名だ。

彼は世の中は永劫回帰だということを受け入れ、自分自身を強く保って、超人
(絶対的能力をもつ神の代わりと言われる)
を目指すべきだと説いた。
彼の思想は、よく誤解されて厭世主義的、虚無的であると言われることが多いが、そうではない。

世界は諸行無常。出来事は永遠という時間の内で、無限に繰り返される。自分の努力も、成功も、いつとはなしに、非条理な形で水泡に帰してしまうかもしれない。
しかし、それでも、私たちは生き続けなければならない。辛かろうが、理不尽だろうが、関係ない。
だから、存在の確証のない神なんかに頼っていてはだめで、自分を強く持ち、前だけを見て生きていく。
強くあるため、超人を目指す。

彼の思想は、どこまでも
「生きたい!」 という希望、意志に溢れている。
午前中に念願の机、椅子、ベッドを購入しました・・・うそ、買ってもらいました(-_-)

京成組にとって、千葉への玄関は日暮里です。午後は日暮里から、上野まで歩いています。

平気で路地裏に入っていくので、道がなくなるのもしばしば。

しかし、いろんな発見も多いんですね\(^-^)/
さっきは、学術文庫で親しみのある講談社の発祥の地を見つけました!


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