今日は「007 スカイフォール」を観ましたが、古き良きものがどうやって残っていくべきなのかを考えさせる素晴らしい映画でした映画



観たところが新宿でも新しくて綺麗なピカデリーではなくて、歌舞伎町の古いミラノ座だったということもあるかも知れませんガーン



最近の映画でよく使われるCGもそれはそれで素晴らしいのですが、アクションはやっぱり本物の人が動いてこそと思わせるようなシーンもたくさんありましたキラキラ



どうやって撮影しているんだろう?と思わせることもしばしばありましたが、ジャッキー・チェンなどのアクション映画を観ても結局身体を張って撮影しているということが度々あったのを思い出しますニコニコ



その身体を張る感覚というのは映画そのもののテーマでもありますクローバー



身体を張ってでしか得られない経験はやはり尊いものです。



現在病院の増築でお世話になっている大工の社長の方が本当に尊敬できる方なので本当に嬉しいですねニコニコ



電柱が倒れたときの対応や周りの人たちへの気遣いなど、働くとはどういうことかや、職人や取引先を信頼するとはどういうことかなど、頭では分かっていたようなことがズシリと身に染みるように感じさせられました。



やはり自分以外の何かのために働く喜びとでもいうものはどんな仕事にも共通することだと思いますが、自分のために生きるということになってしまえば、その結果は畢竟お金稼ぎにしか行き着きません。



お金のためとか、休日のためとか、そんなくだらない目的で生きる時間の大半を費やすのはやはり虚しいことなのではないでしょうか?



他人とは共有出来ないかも知れませんが、自分なりに何かのために生きるというのはハイデッガーの言うように時間の概念を持った人間の宿命としか思えません。



誰かのためでも芸や人の道のためでも何でもいいのですが、自分以外の何かのために生きるということを単なるノスタルジーのように感じてしまう人には生きる意味はないんではないでしょうか?



芸事などただ続けること自体が目的になって形骸化してしまうことがよくあります。



立川談志家元のように伝統を継ぐことが刺激的であるのは難しいことなのかも知れません。



僕は歌舞伎の世界には疎いのですが、先日亡くなって家元とも親交があった中村勘三郎さんも歌舞伎の世界においてそのような存在だったとうかがっています。



そのような存在が消えていくというのは本当に残念ですねガーン



福田和也さんの「死ぬことを学ぶ」を読んでいると、自分のためにではない生き方をしている人たちが、談志家元や勘三郎さんと同じようにどんなに魅力的に見えるかを改めて感じますねニコニコ



逆にお葬式などに幾つかでも参列してみると、ろくな説教も出来ないつまらないお坊さんの多さには驚くばかりですガーン



説教もほどほどにお礼のお金の話を始めるお坊さんもいましたあせる



「仏作って魂入れず」な人はどんなジャンルでもいますが、件のお坊さんなどは伝統という枠組みに守られているだけなのを感じます。



ついでに言うと宗教法人が非課税になっているとことが、宗教人に民の苦しみに思いを馳せることをさせずに堕落させているんじゃないかとさえ思ってしまいます。



もっとも死の意味、ひいては生の意味を問わないといけないはずの宗教人がこんな有り様というのは本当に情けない話ですガーン



映画「スカイフォール」でスコットランドの片田舎のジェームズ・ポンドの生家は焼け落ちてしまいますが、それが形は崩れようとも失われない誇りがあるということを象徴しているように思いましたひらめき電球