斎藤環さんがヤンキーをテーマにした著書「世界が土曜の夜の夢なら」を読みました

本当に刺激的な本でした

いくらドストエフスキーを読もうと、古今亭志ん生の落語を聴こうと、スティーブ・ライヒを聴こうと、僕自身はヤンキー性を内包しているのは自覚しているつもりです

ホスト経験があったり、サーフィンをしたり、ブランドならDIESELが好きだったり、車はGTRを乗り回したりしていれば、疑う余地はありません

甚平よりは浴衣を選んでしまいますが、花火も祭りも大好きです

音楽にしても、Xジャパンもヴィジュアル系もまったく聴きませんが、湘南乃風や安室奈美恵さんは好んで聴いたりしています

小説で言えば、桐野夏生さんのバッド・テイストが大好きです。
僕は稲川淳二さんの怖い話が好きというのも、絶対にヤンキーの属性のひとつだと思います

そもそも僕は育ったところが、Xジャパンや氣志團と同じ千葉の房総(暴走?)です

僕の中で内なるヤンキーを決定的に感じてしまうのは、女の子の好みですね

どうしても元ヤンっぽい感じやキャバ嬢っぽい感じの女の子を好きになってしまいます。
自分自身とそういう女の子のギャップに苦しんだこともありましたが、あまり女の子に対して自分を理解してもらおうとは思わない僕としては、それでもまったく構わないのです

コミュニケーションに対する絶望感がベースにあるというのは、ある意味では悲しいことなのかも知れませんが…

でもこの本では、そういう女の子を好きでもいいんだよと言われたように思えて、気持ちが楽になったような気さえします。
斎藤環さんはヒーリングものの本を著したつもりはないと思いますが、カウンセリングを受けた受診料も払わないといけないような気さえしています

この本を読んで個人的に思い出したエピソードがあります

R&Bシンガーのメアリー・J・ブライジの来日公演を観に行ったとき、オープニング・アクトがMINMIでした

MINMIのファン層は、湘南乃風などと同様にヤンキーが多いと思いますが、シングル・マザーで苦労人のメアリー・J・ブライジのファン層と重なっているもだのと思っていました。
しかし、驚いたことに観客のMINMIのパフォーマンスに対しての反応は冷ややかなものでした

MINMIのライブが生音ではなかったということや、洋楽ファンの選民的なスノッブさなども理由であると思いますが、メアリー・J・ブライジのファンが求める本質の部分とMINMIのファンの多くが求めるスタイル的な部分(タオルを振り回したいとか)が相容れなかったことも大きかったように思います

僕自身はMINMIは大好きなのですが、初期のストイックなミュージシャン然とした佇まいに比べると、今は子供を育てるカリスマ・ミュージシャンというスタイル自体が目立っているように感じてしまいます。
曲も初期の方がオリジナルなものを感じて、好きなものが多いですね

海外のブラック系で僕の好きなところだと、ディアンジェロもR-KellyもK-Ci&Jojoもヤンキー臭さはたっぷりあります

彼らと同じようにR&Bをベースにした表現なのに、僕がEXILEにはまったく興味を引かれなかった理由もこの辺りにあるのだと思います。
EXILEにはあれだけの数のメンバーがいながら、ボーカルはたったの2人で、分厚いハーモニーを聴かせたりしなければ、楽器も演奏しないということも、本質よりもスタイルを重視していることの証明のように思えてしまいます。
僕達は、日本という場所に生まれ落ちただけで、ヤンキー的なものを刻印されてしまっているのかも知れません。
僕の印象では、その内なるヤンキー的なものを処理出来なかったことの失意の結果としての引きこもりなんてことも考えられるのかなとも思いました

このヤンキー論の中核である空っぽだけどスタイルだけがあるという考察は、天皇陛下、三島由紀夫、和歌、宗教などと色々と日本の特殊性に射程が延びていきそうです

最後にやっぱりナンシー関さんの偉大さを感じました

